思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、つい聴きほれてから気がつきました。
さて、なんと言おう…
行楽日和のきのう、小唄三味線をやっている小中学校の友人の「小唄の会」へ行ってきた。
「はじめのほうはおもしろくないから、わたし終わりの方にも出るからゆっくり来て」、
というやさしい言葉にあまえて、ゆっくりしすぎて会場に着いたのは彼女の出番にあと四
番というあぶない時間であった。
このような会には二通りあって、お目あての演者がおわるとさっさと席を立つ、という場
内が始終ざわついているばあいと、格調高く進行するのでつまらなくてもやたらに席をた
てないばあいがある。彼女のばあいは前者であったので気楽に場内へ入ることができた。
この手の会は、師匠筋やゲストを除くと旦那芸と奥様芸であるから上手下手を口にしては
いけないのがおやくそく。とはいうものの落語の「寝床」を思い出すような演者もいる。
いよいよ彼女の出番になった。なにしろはじめて聴くのでどのていどの腕かわからない。
幕があくと舞台には唄方と本手の彼女に替手がひとり。
この本手と替手というのは、本手はその曲の主旋律を弾き、替手は本手と同じ音ですこし
ちがった旋律を弾くもので、西洋音楽の和音とまたちがった効果をもたらす。
はじまって驚いた。唄がうまいのである。とにかく上手い。それまで聴いてきた人たちと
くらべるのも失礼なくらいうまい。それに替手も上手だ。
終わってプログラムをみると唄方は上手なはず、この会の上部団体の会長さん。彼女にと
っては大師匠にあたるひとではないか。また、替手を弾いていたひとはハワイにも教室を
持つというプロだった。
閉会の手打ちもおわり、会場をあとにしてハッと気がついた。この二人を聞くのに夢中に
なっていて、彼女の音色に耳をかたむけるのをすっかり忘れていた。
今度、感想を聞かれたらなんと言おう。