●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクション多少フィクションストーリのパート8。


シリーズ アメリカ帰りの松子さん

花枝さん登場


ようやく正月休みが明ける頃、梅子さんより格好の物件があるとの電話があった。

「場所は築地です。下がホテルで、10階以上がマンションになっている高層ビルなんで

すけど。その14階のワンルームが空いているそうです。なにしろ銀座にも近く交通の便

は抜群。下はホテルだから常にフロントマンが常駐しているので安全ですよ」

「築地ねえ」

松子さんの返事は冴えない。松子さんにとって築地といえば、築地市場を連想するのだ。

がさついた下町は嫌いなのである。

「築地ってごちゃごちゃした下町なんでしょう?」

と聞くと、

「とんでもない。いまやタワービルが林立するウォーターフロントの新しい町ですよ。将

来東京オリンピックの選手村にもなる場所ですしね」

梅子さんは自信満々に答える。さらに

「この話をもってきたのは、私の友達で、花枝さんという人。大学で福祉を教えている講

師で、それにケアマネージャーでもあるし、顔が広く世話好きで信頼がおける方ですよ。

このホテルのオーナーと知り合いなので、保証人などの条件を免除してくださるんですっ

て。それに現に仕事の時に下のこのホテルにときどき泊まるので、町の様子もよく知った

うえで紹介してくださったんですから。この話を断ったらもう部屋を世話する人なんかい

ませんよ」

梅子さんの言葉には有無を言わせぬ強い口調があった。

松子さんは人に命令されるのは大嫌いである。上からものを言われるのは当然面白くない

のだが、今のところどこからも具体的な話がない以上、背に腹は代えられない。物件を見

ることを約束した。

電話を切ると松子さんは友人に電話をかけまくった。

「築地というところに部屋があるというのだけれど、どう思う?」

ある人は、あら、築地は決して下町じゃないわ。これから発展する注目の町よ。地価がど

んどん上がっているくらいだから。なにしろオリンピックが開催されときの競技場や選手

村になるはずで、トレンディだわ、と言い、ある人は、築地で14階ねえ、地震や津波な

どの災害があったら、電気も水も止まり取り残されてしまうから年寄りは低い階の方がい

いと思うよ、なんて言う人もあり、意見が分かれるのであった。

松子さんは後者の意見がもっともだと思った。

築地はどうも気が進まない。梅子さんに折り返し電話でそのことを告げると、もう、花枝

さんと約束したから、会うだけ会ってほしい、という。いい情報をたくさん持っている人

だから会っておいて損はないはず、と言うのであった。

松子さんにとって押し切られるのは悔しい。しばらく考えていると、

「もちろん、気に入らなければ断って下さっていいんですよ」

と重ねて梅子さんは言った。

松子さんは梅子さんが花枝さんの申し出を断れない事情でもあるのかと勘繰り、とにかく

梅子さんの顔を立ててあげるのだと思うことにして渋々花枝さんと築地で会うことを承知

した。  (つづく)


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