3/10のしゅちょう             文は田島薫

佐村河内守の嘘について


佐村河内守さん、って人が全聾の作曲家と自称して東日本大震災の被災地などの鎮魂曲

などの形でCD やコンサートにして人気を得てたんだけど、全聾は嘘だし、曲もすべて

ゴーストライターに作ってもらってたんだ、ってことがこのほどゴーストライターの暴

露で明らかになり、謝罪会見があった。

当人は謝罪してるものの、嘘については確信犯の面があり、嘘がばれたから不本意なが

ら謝るんだけど、ばらされなければなんの問題もなかったはずで、それをばらしたゴー

ストライターに反感を感じてる、ってことのようだ。

そんな会見を見てると、なにを言ってるんだ盗人猛々しいな〜、ってようにも感じるん

だけど、あえて当人の言を総合して好意的に解釈してみると、自分は才能的には力不足

だけど、クラシック音楽についての愛が強くある、東日本大震災の被災者に是非ともそ

のクラシックで癒してあげたい、一般にクラシックは敬遠され勝ちだからそのためには

それに興味を持って注目してもらわなければならない、曲作りを頼んでる彼を売り出す

か?いや、でもキャラクターにハナがないし、よしじゃ、自分がそのアイドルになって

やろう、幸いというか、自分の耳は難聴だから、これが全聾、ってことにして無精髭に

サングラス眉間にしわ寄せてそれが苦悩の中で作ってる、ってことにすれば、注目され

るはずだ、ってような手順。もしなにか別の芸能プロデューサーの仕事でもやってたら

公明正大な成功を治めたのかも。

作曲も完全に嘘とは言えない、と彼を支えたのは、自ら曲づくり前のコンセプトを書い

た計画図の作成とゴーストライターへのそれの供与と指示、できた曲へのチェック(こ

れができることに関しては全聾じゃないことが当人も幸いと感じたことだろう)や修正

指示、といったことの実施だったろう。これをやることで、自分が曲作りの主導権をに

ぎってるのだから、自分が作曲した、と言っても過言じゃないかも、って。

これが、もし、彼が言うようにばれなかったら問題なかったか、って言うと、たしかに

当人や関係者たちの良心の呵責(といったもんがあるとすればだが)以外、その曲に感

動させられた人々にだってなんらの被害もなかったかもしれない。

じゃ、やっぱり、ばらしたゴーストライターがわるいのか、って言うと、多少わるいか

も、本当のことならなんでも言えばいい、ってことで、だまされたことに気づいた人々

が傷つくことになるわけだし、最初にその仕事を受けた時にその形態は暗黙の契約とい

ったことになっていたと考えたら。曲が有名になったことで、ゴーストライターの方に

も色々動揺が働いたんだろうけど、これが無名のままだとしたら、世間によくあること

で、それほどわれわれの話題にもならないことで。例えば、学術論文を弟子に書かせて

監修だけして自分の著書として発表する大学教授とか。

ま、しかし、ばれなけりゃいい、って嘘をつく考えはどんなに目的が立派だったとして

も、ばれる可能性がいつもある以上、ばれた時のデメリットにより無効、って考える方

がいいのだ、非力でも見栄や強がりはやめてみんなで正直に生きよう、できるだけ。




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