思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセーは、よき時代、の後の時代が心配です。



振り返れば、すべてよき時代


中古レコード店で、「1975年カールベーム指揮ウィーンフィルハーモニーNHKホール録音」

という箱入り4枚組のレコードをみつけた。

このレコードは、広告では知っていたが自分でFM放送の生中継を録音していたのでさして興

味をもたなかった。それに9,500円という値段も高すぎた。

箱をあけてみると3曲同じものがダブってはいっている。なぜこんなことを、とよく見ると演

奏日がちがう。これはかなりマニアックなアルバムなのだ。

レコードに針をおとしたとたん、当時の懐かしい音が響きわたった。聞けばきくほど当時のこ

とが思い出される。いっしょに聴いていた老妻が「とうとう行かれなかったわね」とポツリと

言った。ウィーンフィルは当時のS席が3万円ちかくしたはずだ。二人で6万円。

とても行かれる金額ではなかった。


39年前。あらゆるジャンルが爛熟期にあったようだ。音楽、演劇、絵画どれをとっても見ご

たえ聴きごたえのあるものばかりだった。

クラシック界でいえば70年代は、カラヤン、ベーム、クライバー、ムーティーと一流の指揮

者が一流のオーケストラを率いてやってきた。演劇も後世にのこる名舞台がいくつもあった。

そう、すべてが充実していた。

これは年寄りの懐古趣味ではない。いまの若者が60年代のポップスや古い録音のクラシック

音楽を追い回すのをみればわかる。いいものはいいのだ。

思い出話をしながら「われわれは、大正時代を経験したのかもしれない」というとめずらしく

老妻も同調してくれた。


話しに聞く大正モダニズムというものもこんな感じだったのだろう。明治という混乱の時代が

おわり一次大戦もたいした影響はなく、関東大震災こそあったけど昭和大恐慌まではわが世の

春を謳歌していた。そしてのんきにかまえていたら大変な時代になってしまった。

自分も戦後復興期には苦労したはずなのだが苦労したのは大人である。日をおうごとに世の中

は落ちつき、やがて昭和元禄と揶揄されるようにあらゆる文化が花開いた時代をすごした。世

の中こんなものだろうとやってきたらなにやらきな臭くなってきたところなど、大正人そっく

りだ。


人は生まれた時代によって運不運があるという。老生、苦労知らずに一生を終われると思って

いたら世の中おかしくなってきた。「振り返れば、すべてよき時代」なんて考えるときは、き

っと悪い時代のはじまりなのだろう。


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