●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんにも縁ある人のノンフィクション多少フィクションストーリのパート5。


シリーズ アメリカ帰りの松子さん

燗ビール


松子さんが弟の家に行くと竹男さんも梅子さんも病み上がりの青い顔をしていた。二人

ともひどい風邪を引いて、緊急外来を受診するほどの切羽詰まった症状だったという。

松子さんはまずいときに来てしまったと思うけど仕方がない。体の弱っている人の前で

弱気は禁物だ。なるべく明るく楽観的に話を進めよう。

これまでの経過を臨場感たっぷりに説明してから

「そういうわけなの。とりあえず引っ越し荷物を預かってくれる? それから私は別に

ここに同居させてくれと言うわけじゃないのよ。住まいはできるだけ自分で探すし、そ

のうち友達からいい話がくると思うし、その間はホテル住まいをするから安心して頂戴」

と言外に迷惑をかけないから、ということを匂わせた。

一通り話を聞いた竹男さんは、なんて水臭いと思うのだ。この期に及んで、まだそんな

ことを言っているのか、結局はこちらですべて面倒をみなくてはいけないのだから、よ

ろしくお願いします、と一言いえば、快く一肌脱ぐものを、と思っている。

「姉さん、友達、友達っていうけれど、みんないくつなんです? 80を超えているん

でしょう? みんな自分のことで精一杯ですよ。家探しなんかやってあげられる年齢じ

ゃないですよ」

と語尾をあげてつい説教調になってしまうのだ。そして

「まず姉さんのやることはですね、携帯電話を持つこと、この家に来ないのならなるべ

く近くに適当なホテルを探すことですね」

と竹男さんは話を事務的に進めることになる。

すると傍にいた梅子さんまでが

「お義姉さん、ホテルで年末年始を過ごすよりウイクリーマンションを借りちゃった方

が経済的かもしれないですよ…パソコンで調べてみましょうよ」

さあさあと追い立てるようにパソコンの前に松子さんを座らせる。

人に命令されたことのない松子さんは、弟夫婦にああせい、こうせいと言われ、途端に

不快になった。でも、なすすべを持たない松子さんは言う通りにせざるを得ない。

しかし、パソコンは便利である。梅子さんの操作でいくつかのアイテムから新横浜に格

好のウイクリーマンションが見つかり、なんなく画面上で契約ができたのだった。

携帯電話は住民票を持たない松子さん自身では買えないので竹男さん名義で明日買うこ

とに決めて当面の懸案事項は一挙に解決。

ようやくみんなが愁眉を開きほっとした雰囲気になった。冬の落日は早い。梅子さんが

これからウエルカムディナーを用意するから泊まっていけ、という。

松子さんは疲れていた。やっぱり久しぶりに会う肉親なのだし、ようやく甘えようと決

めた。

出前の寿司とお惣菜を前に「飲み物は何にします?」と梅子さん。

「お燗ビールにしてちょうだい」

「えっ? なにそれ?」

松子さんは独り暮らしのせいで極度に健康に注意していた。冷たいものが胃によくない

となれば冬場はビールだって温めてしまうのだ。つまりお燗ビールとは缶ビールを湯の

中で燗をした温かいビールのことである。松子さんは漸く自分の主義主張を発揮、自分

を取り戻す。

梅子さんは目を丸くして、

「アメリカではそういった飲み方が流行っているんですか?」

「ううん、私だけ。へへへ」と笑ってごまかした。

その夜は熱い燗ビールと冷たい缶ビールが行き交って、ようやく和やかな肉親らしい昔

話に花が咲いたのだった。   (つづく)


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