11/10の日記          文は田島薫



私もほめられようとギターの練習したんだけど


家人は時たまなにかの返事などに筆書きの郵便封書を送ることがあり、先週もそれを

持って郵便局に向かってたところ、途中で散歩中の近所の高齢で立派な顔立のオヤジ

さんに遇い、字面を見られほめられた、って少しうれしそうに帰って来た。

で、土曜の午後、ふたりして自転車で食料の買い出しに出かけようと、私が先に道路

に出てみると、行く先の向こうに当のオヤジさんが歩いてて、すぐ後ろに車が徐行し

てるのが見えた。オヤジさん足が悪く歩くのがぎこちなくて超スローで、それでも毎

日、運動のためにやってるらしんだけど、おまけに耳も遠いもんだから、後ろから来

る車に気がつかない模様。私は車を追いこして行き、オヤジさんのそばで止まり、こ

んちわ、って大声でお互い笑い顔であいさつかわしてから、車を知らせて、おっとと、

ってふたりでそばの生け垣に忍者ポーズになった。車を行かした後、オヤジさん、す

かさず、字がうまいね〜、って言うもんだから、家人の字だ、って教えてから、ちょ

うど後からこっち来る家人とオヤジさんに聞こえるように、字がうまいってっさ、っ

て大声で言ったら、あらためてオヤジさん同じことを家人に言って感心してた。

そんなことがあった後のためか、心持ち家人の家事も余計精が出たのか晩までなんや

かや働き、翌日の日曜日はふたりして寝坊。

遅いランチを食って、ひと休みして近所のスーパーにふたりで行ったりしてると、午

後の時間はわずかになり、これじゃいかん、ってテレキャスターをアンプにつなぎ、

テレビとオーディオアンプとノートパソコンもつなぎ、YouTubeでギターキッズの弾

くクロスロードに合わせたんだけど、相変わらず同じに弾けない、ひと休みして、他

の連中のそれも聴いてみると、みんなほぼ完璧なリズム取りでクラプトンの通りに弾

いてる。最後にふざけたかっこした「王様」のそれを聴くと、歌詞はおふざけ日本語

なもののギターはきっちりコピーしている。だからと言って、それがクラプトン本人

が弾くのと同じ感動があるか、って言うとそれが全くないのが不思議だ。

必死で練習しても、結果がそういったことで終るとすればコピーは空しいもんだ、っ

て、その完成度になかなか届かない言い訳を言って、きょうのコピ−練習はお開き。


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