思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
さすが大瀧詠一、人物評価に厳格なセンセーの心もつかんでたようです。



大瀧詠一




「はっぴいえんど」のころは知らない。

世代がちがう。

高校生と社会人の差があった。

メンバーの名前くらいは意識しただろうが、細野晴臣ばかりがさわがれて大瀧詠一は意識に

ない。

大瀧詠一を意識したのは、大ヒットした「ロンバケ」こと「ALONG VACATION」

を聞いたときだ。手元にレコードがあるのでいい曲だと思って買ったのだろう。


それも忘れて30年が過ぎた。

NHK―FMの「大瀧詠一のアメリカンポップス伝」を聞いた。

エルビスプレスリーを紹介するものだった。

ソフトな語り口にのった博覧強記におどろいた。

それは、音楽はもとよりアメリカ文化への造詣の深さであり、録音技術の内幕も語った。

たちまち大瀧詠一Who?となって調べてみた。

さもありなん。彼は、シンガーソングライター、作曲家、アレンジャー、プロデューサー、

レコードレーベルオーナー、ラジオDJ、レコーディングエンジニア、マスタリングエン

ジニアと音楽に必要な技をすべて

自分のものにしている。

また、大瀧詠一は音楽の系譜の研究がライフワークであり、日本の大衆音楽についても勉

強していたそうだ。

これを知って納得がいったことがある。

やはりNHK―FMで放送した「めずらしい美空ひばり」の解説である。

これは美空ひばりがジャズを歌ったものを集めたもので、曲の合間に語られる当時の日本

の世相、音楽界にいたる話題の展開はみごとなものであった。


このように本物の知識で語れる音楽解説者はいただろうかと考えると井原高忠を思い出す。

井原は、戦後のボードビル界をけん引した鬼才である。すべての現場から引退したのち、

NHKの「日曜喫茶室」に長く出演していたので、その軽妙な話術と博識に接した方はいる

だろう。「日曜喫茶室」に出演中から自らを隠居と呼んでいたが本当にハワイへ隠棲してし

まった。本物を語れる人、井原高忠の後継者があらわれたと喜んでいたらこの訃である。

ポップスが好きな人は大瀧詠一の音楽を惜しむだろうが、老生はその余技を惜しむ。


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