思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、年期の爪を隠して謙遜してます。



暑さ狂い・さあ、写したぞ




そのうちに暑くなるだろうと、暑さ狂い完結編のために撮影に出かけることにした。

ところが支度をするうちにめげてしまった。とにかくカメラが重い。レンズ、ロールホル

ダー一式で3.4キログラムとコンデジ10台分である。


昔の人は偉かった。この重たい操作が複雑なカメラをふりまわして報道写真の修羅場をく

ぐり、一眼レフなので望遠レンズを使うのに便利だったからスポーツ写真によく使われた。

構造上ファインダーが左右逆像、つまり右に動くものがファインダーでは左に動くとうい

う仕掛けなのによく使いこなしたものだ。戦前のオリンピックの望遠写真はほとんどがこ

の形式のカメラで撮られている。

さて、今の人はどうしたかというと、本当は街中でスナップ写真を撮りたかったのだけど

腕の痛さにまけて風景写真を写すことにした。なぜ、もっとはやく整備をして力があるう

ちに使わなかったかと悔やむことしきりである。


道具というものは大きな鋸で小さなものを切らないように、道具と完成品のあいだになん

らかの関係がある。このカメラのように使い勝手がわるいものは、先に書いたプロをのぞ

いてはあまり動く被写体には使われなかった。昔、サロン調と呼ばれる写真がはやった。

これは絵でいえば静物画、部屋などに飾っておいても毒にも薬にもならないアレである。

対象物は動かないのでじっくりと写すにはこういうカメラは最適である。逆にいえばカメ

ラが被写体を選ぶともいえる。


戦前、資生堂のオーナー一族で後に社長も務めた福原信三という人がいた。アマチュアで

ありながら光の微妙なトーンを追及して「光と其諧調」というすぐれた写真集をだした。

この人のカメラも同じタイプだが、イギリスのメーカーに特注したとびきりの高級品であ

った。ときの高級アマチュアは競ってこれを真似したがカメラの格は勝負にならなかった。

福原信三は実業家でありながら、写真にかぎらずあらゆる文化に造詣がふかく指導的立場

でもあった。おなじシンゾウでも、どこやらの国際的大ほら吹きのシンゾウクンとはおお

ちがいである。


と、いうわけで道具が導くままに「光と其諧調」を気取ることにした。

近所に天正五年建立の薬師堂がある。もちろん建物は当時のものではないが広い境内には

八十八体の石仏が並んでいる。これは安政二年、ここの堂守となった住職が信者を募り西

国八十八カ所の石像を模したもので、この八十八体仏を巡拝すると西国八十八ヶ所を巡っ

たのと同じご利益があるといわれてきた。石仏は野晒しのためかなり傷んでいるが、なか

には美仏もおわします。そこには光も諧調もふんだんにあふれているのだが、なんせ道具

に曳かれたにわか写真師の手におえるものではなかった。


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