8/19のしゅちょう 文は田島薫
(センチメンタリズム政治の危険について)
今年の全国戦没者追悼式で歴代首相が踏襲してきたアジア諸国に対する加害責任や、不戦
の誓い、を安倍首相は言葉にしなかった。
多分、安倍さんの気持ちの中では、日本のために戦い命を落とした人々に対する同情が強
く心を占めているためそれだけの追悼に集中したかったんだろう。
アジア諸国への加害責任言及やら、不戦の誓い、やらは、そういった国内の戦没者の死を
犬死にに見せるような無価値か否定的な印象を与えてしまい、日本人戦没者に申し訳ない、
って思いが強くあるんだろう。
確かにそういった感想は私にもわからなわけではないし、きっと、安倍さんの気持ちに全
面共感したり支持する人々も大勢いるに違いない。
あの戦争は間違ったものだった、するべきもんではなかった、って反省がそういった気持
ちの前では出て来にくいのだ。
だから、安倍さんは、従軍慰安婦についても侵略の認識においても、そういった反省はど
うもしてないようで、けっきょく条件さえ許せば同じことをやるかも知れない、って立場
になっちゃってて、それとそれを世界に発信してること、に気がついてないようだ。
世界平和や核廃絶については「できる限りの努力」をするといつも演説しながら、核兵器
の非人道性を訴える共同声明への署名を拒むし、原発輸出の先導をするし、自衛隊の武力
行動権を拡大し、国民の義務を拡大し、政府の権利を拡大する憲法改正ももくろんでいる。
要するに、他国や国民からの批判は受け付けず、自国や政権のプライド守り、常に自国や
政権の行動はすべて優秀な政治家たちによって考え抜かれた結果の必然によるもので、な
んら問題を感じたり反省したりする必要はない、って態度をつらぬきたい、って考えてる
ようで、米国に対する態度をぬきにすれば、なんだか、北朝鮮の主席が他国や国民に対し
てとってる態度と似ている。
もし、こういう態度を各国がとったなら、戦争の危険性はより増大するわけで、けっきょ
く、安倍さんのは、時代錯誤の我田引水、独善的センチメンタリズムに過ぎないのだ。
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