思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
事情通シャンせんせい、人生の楽しみのひとつがこれだ、って言ってます。
至福の時
ひと月ほど前、新聞の書評欄で、演劇評論家が新聞や雑誌に書いた戦後の昭和に活躍し
た芸能人の追悼文を集めた本をみつけた。戸板康二の流れをくむ著者の文体は好きであ
り、この人が書くと醜聞も薄汚いゴシップにならず品がある。
書かれた人たちの大部分は実際に舞台を見たかラジオで聞いたことがある同時代の懐か
しい人ばかりだ。書評もわるくない。しかし、彼の本は数多く読んでいるので大半の話
しはどこかで読んでいるだろう。あわてて買うものでもないとそのままにしておいた。
先日、本屋にいったとき急にその本のことをおもいだした。ところが本の名前も出版社
もうろ覚えである。そうなると急にほしくなる。
朧な記憶を総動員してようやく見つけた本をひらくと想像通りいくつかは読んだことが
あるものだった。同じようなものを買ってもしかたがないと書棚をはなれると、もう一
人の自分が「大した値段ではないので買っておいたら」とささやいた。
子供とおなじで新しいものはすぐに見たくなる。
喫茶店にとびこみ、その本をひらいた。
落語の文楽にはじまり、金語楼、志ん生あたりまでは知られたエピソードで、買うので
はなかったと少し後悔したが、三平、越路吹雪、宇野重吉、凰啓助、フランキー堺と読
みすすむうちに、彼らが活躍していた時代に身体がひきこまれていった。しばらくして
現実にもどると、こういう本を歴史ではなくリアルな感性で読むことができる自分がと
ても恵まれていることに気がついた。いい本を買った自分の勘をほめながら、コーヒー
片手に、こうした贅沢な時をすごすことを至福の時というのだろう、などと考えた。