6/10のしゅちょう             文は田島薫

経済成長神話について

高度成長時代を経験した国はすでに生活に充分な物資を保有し、物余りの時代に入るわ

けだから、それからは単なる経済成長を目指すのはやめにして、国民の福祉を充実させ

ることに力を注いで行くべきだ、って論は、バブル崩壊後からくり返し識者によって語

れてきたことのはずなんだけど、自民党安倍政権は、まだまだ経済成長はそれだけやっ

てればすべてうまく行くといった必要十分な絶対価値だと考えているようだ。

国民全員の暮らしがあきらかに改善する方向に行くような、自然エネルギ−開発や、自

然環境保全事業、農業制度改革、育児や介護施設の充実といった事業はどんどん進める

べきだろうけど、口では色々言うものの、けっきょくは、なんでもいいから経済成長さ

えすれば、ってような発想はいかがなもんだろう。

先日も首相は、それによって10年後の国民の年収を150万円づつ増やす、って言ってた

んだけど、これはどう考えたって、数字上のトリックで、今やってる円安の政策目標を

達成できたなら、百歩ゆずって仮に平均値でそれも達成できたとしても、多分実質年収

はほとんど変わらないはずなのだ、だって、今より円の価値が下がるんだから。

それに、それよりもっと問題なのは、そのまがいもんの数字だけの経済成長の恩恵(?)

を得る層は、公務員や優良大企業の正社員だけ、ってことになり、すでに決められた額

が実質目減りする一方の年金生活者や、それも厚生年金などである程度の額もらってる

層はともかく、月数万円しかもらえない国民年金生活者や、時給750円ぐらいで働く労

働者の生活はますます厳しいもんになって行くに決まっているのだ。

低賃金の非正規労働者が増える雇用構造にほとんど手をつけずに、教育や医療や育児も

国民の自己責任自己負担、って傾向のまま、ただ経済成長だけ目指し、その数字だけ上

がれば、自動的に低所得者の生活レベルも底上げされる、ってのんきな考えじゃ、所得

格差は拡がるばかりだろうし、原発をはじめとした無理のある産業開発ばかり進めたら

自然破壊も同時に進み、おだやかで安心できる生活リズムと逆行することになるだろう。

金や物はたっぷり持ってるけどそれを使ったりゆっくり楽しむ時間もない忙しくてスト

レスだらけの病気持ちか、働きたくても仕事も金もなく結婚もできずにきょうの生活を

やっとやってるか、そのどっちか、って人々の世の中がいい世の中と言えるだろうか。




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