5/27のしゅちょう             文は田島薫

自民党による憲法改正の危険性について

景気問題が一段落したらいよいよ本題の憲法改正を、って目論んでる安倍自民党、上が

ってた株価がまた下がったりして不安定なんだけど、決定的な失敗の前に憲法をいじっ

ちゃいたい、ってことで憲法改正手続きを容易にする96条改正を急いだりして、その段

取りしてる模様。

現行憲法の問題点を審議して改正する、ってこと自体はわるいことではなさそうなんだ

けど、昨今の首相らの言動や政策などを見てると、今の自民党にそれをまかせていいと

思える成熟した国際的人権擁護意識や志があるようには見えない。

その証拠に、自民党がまとめた改正草案を見ると、政治家を縛るためであるはずの憲法

を、国民を縛るものにして、自分たちがより自由にやりたい放題の政策やれるように、

平和維持のため、などの言葉はつくものの、けっきょく、軍隊保持と軍事行動をできる

憲法に変えたいようだ。

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意と謳う長い

前文が短くなり、戦争否定の文言がぬけ、
正義と秩序を基調とする国際平和を願い努力

する、といった一見よさそうにも見える抽象的表現が出て来る。

これだと、例えば、この間の米国によるイラク攻撃などにも日本は軍事参加できること

になって、平和のための戦争だった、って言えば全部オーケーってことになる。

で、前述の改正案で登場してきた、
正義と秩序、っていった言葉は結局、政府の主観で

なんでも決められる、ってことを意味するのだ。これはいいけど、これは正義に反する

秩序に反する、って政府の立場で都合のいいように判断できる、ってわけだ。

で、現行憲法の国民の権利の条項のところで公共の福祉、って言葉が、改正案では、こ

の、秩序、って言葉と、公益、って言葉に置き変わる。公共の福祉、ということなら、

国民ひとりひとりの幸せがすべてに優先する第一の目的、という意味になるけど、公益

とか秩序と言うと、国がこうする、って決めたことはなんでも公益、ってことにできる

し、それに反論する者は秩序を乱す、と言って取り締まることができるのだ。

例えば、個人の尊重の条項、公共の福祉に反しない限り守られる、ってとこが、公益及

び秩序に反しない限り、って言葉に置き変わる。

これだと例えば、国が参戦を決めたとして、国民が反対デモしようとしたら、次々に投

獄される、っていったかつてあったことが再現可能、ってわけなのだ。

なぜ、自民党はこんな前時代的な憲法に改悪することを目論んでいるんだろうか。純朴

な(?)安倍さんの周囲にワルのエチゴヤたちがいるのか、または自民党議員全員が保

身のあまり集団痴呆に陥ったのかどっちかなのだ。




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