思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、すでにツアコン女史ともツーカーの仲のようです。



露国赤毛布

8.聖イサク大聖堂






今日は、旅の主目的である聖イサク大聖堂と血の上の救世主教会に行く日だ。そのうえ数

時間の自由時間もある。期待に胸をふくらませるシャンさんはスッキリと目が覚めた。

スッキリとした目覚めにともないスッキリとタバコが吸いたくなって外へでた。

外は−2℃。陽だまりは1℃くらいある。こう書くと冬のロシアを知っている人は数字の

間違いだろうと言うにちがいない。ところがここ数週間は20年ぶりの暖冬だそうだ。

例年なら−10℃位の日がつづく。おかげで凍っていないネヴァ川を見ることができた。


朝食がすむとミーティングが始まった。「今日は二つの教会見学もふくめて自由に観光す

る時間が多くありますから、くれぐれも事故を起こさないように気をつけて行動してくだ

さい。万が一のために私の携帯の番号を控えてください」とツアコン女史からきついお達

しがあった。(ふつうなら「事故にあわないように」というところをわざわざ「事故をお

こさないように」と言うのにはわけがある。これはシャンさんにむかって言った言葉だ。

シャンさんは出発前から“要注意人物”になっていた。このことはまた書く機会があるだ

ろう。)

この日この時を待っていたシャンさんは“ご注意”も上の空、心ははやくも二つの教会へ。

バスは市内観光をしながらイサク大聖堂へ。車中、聖堂の説明を聞いたが内容が建築から

宗教まで多岐にわたり半分も覚えられない。

バスを降りるとき「気をつけていってらっしゃい。集合時間に遅れないように」と厳重な

“ご注意”のわりにはあっけない送り出しであったが、ツアコン女史はシャンさんにウイ

ンクすることを忘れなかった。


イサク大聖堂は、1710年ピョートル大帝によって初代の木造建築が建てられ、現在の聖堂

は1818年から40年を費やして1858年に完成したものである。高さ101m、幅98m、

奥行111mというバカデカイ聖堂の本体は煉瓦で作られ外壁は花崗岩、内壁は大理石が

貼られている。写真を撮りながら一周するのに20分もかかった。入り口で250ルーブ

ル、円換算で750円を払って中に入るとドギモをぬかれた。イスタンブールのアヤソフ

ィアもその大きさにびっくりしたがそれに負けない大きさである。大理石と孔雀石で装飾

された聖堂の正面にはモザイクで描かれたイコンが配されている。正教会であるから正面

には十字架のかわりにイコノスタスがかかげられているが、イコンで埋め尽くされたほか

の正教会とちがってカトリックの教会のようにもみえる。天井は著名な画家によって描か

れたフレスコの宗教画で埋め尽くされ、祭壇中央にあるステンドグラスで作られた活きい

きとした巨大なキリストの復活像は迫力満点。ふだん十字架にかけられた陰気なキリスト

像を見慣れたものにとっては新鮮であった。


この聖堂は創建以降二度の災難にあっている。一度目はロシア革命。「宗教は麻薬である」

と言ったレーニンの言葉に従ってか、国中の教会のすべてが破壊されるか閉鎖され、男女

を問わず聖職者の多くが粛清された。ほんとうのところは大司教たちが政治に深くはいり

こんでいたために革命政権にとって邪魔であったのだろう。イサク大聖堂は幸運にも革命

後博物館として使われていたため内部の破壊が少ないのが救いである。二度目の災難は

1941年の独ソ戦争である。黄金のドームがドイツ軍の空襲の目印になるために戦争中は灰

色に塗られていた。幸い空襲にあわなかったので往時の姿が保たれている。

今回のツアーの予定ではイサク聖堂は外から見るだけであったが、赤の広場の立ち入り禁

止のおかげで予定がくるい内部をゆっくりと見ることができた。暖冬とあいまってなにが

幸いするかわからない。


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