4/22のしゅちょう             文は田島薫

神のような人々について

先日、テレビで脳動脈瘤手術の第一人者というのを見たんだけど、その人がいなかった

ら助からなかったような命が日々助かって行く、彼はそれに使命感を持ち寝る時間を削

りながら毎日できるだけ多くの、って思いながら手術を続けているのだ。同じようにも

っと以前、米国の病院で手術をしている世界的な脳手術医の場合は、そんな手術を毎日

何件も行ってるそうだった。ところで、そうした手術をそんなに大量にやってれば当然

金もたくさん入るわけで、どうやら彼は大金持ちで、大邸宅に数千万の高級スポーツカ

ーを何台も所有してるんだけど、それにはほとんど乗る時間がないのだ。

一生贅沢に暮らせるに充分な金をもう持ってるわけだから、仕事をやめて、好き放題に

車や食事やレジャー万端楽しむことだってできるはずなんだけど、自分がやめると助か

る命が毎日いくつも失われて行く、って考えたら、やめられないのだろう。いや、そう

じゃなくて、自分が助けられたひとつひとつの命を毎日慈しみ、それをできる能力をさ

ずけてくれた神に感謝し、毎日幸せを感じているのかもしれない。

とにかく、そんな人々が世界じゅうにたくさんいることは事実なのだ。そういった人々

が巨万の金をかせいだとしても、そのことに対して当人にはさほどの重要性はないささ

いな事柄なのだ、だってそれを使う時間があれば人助けの時間に当てちゃうんだから。

そういった大勢を救うような人々ばかりじゃなくて、子供のために自分の命を犠牲にす

るような親の行動もそれと似てるかもしれない。

さらに広げて、会社のためにと考えながら仕事に励む労働者も似てるのかもしれない。

それはないよ、って言うのは簡単だけど、本気で会社のために、って考えて行動するこ

とは、その会社で働く社員全員の幸せを追求することかもしれないし、視野の広さを忘

れないようにさえすれば、世の中の人を助けたり新しい便利な価値を生み出すことにな

るかもしれないのだから、一所懸命やる、ってことには多分、どこにあっても価値があ

るのだ。やがて彼らは神のようになるだろう。ところで私はどうしよう。




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