思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、いよいよ心おどる(?)モスクワです。



露国赤毛布

4.モスクワ




ツアコン女史に笑われたメニューは気のせいではなく昨夜のほうがおいしかった。とくに

黒パンは別物?というくらいちがう。やはり団体メニューは味がおちる。

われらがオバサン方の朝食の話題はモーニングコール。時間に鳴った人、遅れた人、鳴ら

なかった人とさまざまだ。シャンさんの部屋は13分遅れて鳴った。海外の安ホテルでは

めずらしいことではないし、その時間には全員が起きていたようだ。

8時出発。外はまだうす暗い。バスはモスクワの北70キロにあるセルギエフ・ボサード

に向かう、片側3車線のヤロスラブリ街道は2車線分が除雪されている。街道の両側の原

野にはロシア名物の別荘集落が点々と続く。日本では別荘というと金持ちのものと思うが、

こちらではソ連時代から庶民も別荘を持っていた。農耕民族のDNAのなせるわざか春から

秋にかけて別荘とは名ばかりの作業小屋のようなところで農作業にいそしむ。実態は配給

で不足する野菜類の補給が目的であった。現在、建物は立派になったがあいかわらず野菜

作りが楽しみになっている。


セルギエフ・ボサードにあるセルギエフ大修道院は13世紀聖セルギウスによってひらかれ

た。まだロシアが安定していないこの時代モンゴルの襲撃から守るために修道院の外壁は

城壁と同じような立派な壁でまもられている。敷地内にはイワン雷帝によって造られたウ

スペンスキー大聖堂と聖セルギウスの墓の上に造られたトロイッキー大聖堂が見事な姿を

みせている。荘厳な内部はソ連時代に破壊され大半が復元なのがおしい。

現在も修道院として使われている敷地の一廓にある観光客用の食堂で昼食をとった。ここ

のジャガイモ料理は美味かった。食後、敷地内でタバコが吸えないので外へでて吸ってい

ると労務者風の若い男がよってきてタバコをくれという。日露友好に務めたことはもちろ

んである。今夜の便でサンクトペテルブルクへ向かうため、夕食用としてサンドウィツチ

とジュースと菓子の入った大きな手提げ袋をわたされて、バスは一路クレムリンへ。


テレビでおなじみのクレムリンの城壁をながめながら赤の広場入り口に到着。

民主化されたといってもロシアは国の権限が強い。きょうは軍人のなんとやらがあって赤

の広場にはいれない。ツァー御一行様は立ち入り禁止の柵にもたれ200メートルほど先

にある有名なポクロフスキー聖堂の玉ねぎ屋根を背景にワーワーキャーキャー言いながら

写真を写す。そのはるか奥には東京ドームのような風船をかぶった工事中のレーニン廟が

見える。時間があまってしまったので一時間ほどグム百貨店で自由行動。

グム百貨店は、1921年にレーニンよって造られた国立百貨店を母体として1953年19世紀

に建てられた工場を大改装して現在の姿になった。ソ連時代はふつうの百貨店だったが、

いまは内外の観光客向けの大ショッピングモールになっている。見事な建築をみていると、

いかに大改装したとはいえこの素晴らしい建物はなんの工場だったのかと興味をそそる。

また、今日の姿がすべて大改装によるものだとしたら革命勢力の貴族趣味にはあきれてし

まう。百貨店内の店は、三越、高島屋で買い物をするようでいずれも高くて手が出ない。

百貨店の隣にあるスケートリンクに併設されている露店でようやく土産物を買うしまつ。

赤の広場に入れなかったのでどこか気落ちがしてしまった御一行様を乗せたバスは市内観

光をしながらモスクワ川対岸にある雀が丘の展望台へ。


クレムリンから4キロほどはなれたこの丘はモスクワ市街が一望できることで有名だ。

1812年冬、ここに立ったナポレオンが「モスクワはおいらのものだ」と言った丘である。

観光シーズンには土産物や食べ物を売る露店でうめつくされ毎日がお祭りのような賑わい

だそうだが、真冬の今日は店一軒もなく、近くのモスクワ大学の学生がちらほら散歩して

いる程度の賑わいだった。それでも元気なオバちゃんの一人は往復400メートルを歩い

て遠くにかすむ売店でローカルな菓子を買ってきた。若さのひけつはこの好奇心だ。

昔のモスクワならいざしらず近代都市化したモスクワを遠望してもつまらない。高尾山か

ら見る東京のほうがまだましだろう。眼下に広がるモスクワオリンピックの会場跡をわが

ミハイール氏は自慢げに説明するが、いきさつを知る身にとってはつまらない。

ナポレオンにならって「モスクワはおいらのものだ」と念じながらパノラマ写真を撮って

バスにもどった。ヤポンスキーの英雄シャンさんにもロシアの冬はきびしいようだ。


夕方5時、バスは空港へ。本当は何々空港と書くべきだが、なにしろ今回の旅行はモスク

ワにある四つの空港のうち三つをわたり歩いたので名前をおぼえていない。飛行機の待ち

時間に夕食の弁当を食べてくださいということだったが、大師さまが冷たい弁当なんか食

べたくないというので、カフェに入って暖かい食事をとりながら出発を待つことにした。

さあ、明日は待ちに待ったサンクトペテルブルクだ。


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