思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、今年もお気に入りの場所にいたようです。



スカートで逆立ちするか女子大生




紅葉の知らせとともに、となりの大学の学園祭がやってくる。

昔学園祭というと日頃の勉学の成果の発表があり、食べ物などの店は添え物であった。

東大の五月祭などは、ふだん接することのできないアカデミックな世界がくりひろげられ

楽しみであった。

いまはどうか。お祭りの屋台のすみっこにアカデミックがひそんでいるというまったく逆

の風景がひろがっている。

その屋台のうらにひそむアカデミックに今年は見るべきものがあった。

広島に原爆が投下された当日から長崎原爆投下を伝えるまでの中国新聞の復刻である。広

島にあった中国新聞社は原爆により壊滅してしまったが疎開施設を使って中2日の休刊で

長崎原爆投下の日、9日には復刊してその様子を伝えている。一緒に行った老妻はあわせ

て展示されていた終戦の日の新聞もふくめて、こういう時があったのかと感慨深げに見て

いたが、その展示の見にくさにへきえきしていた。とかくこういうことに興味を持つ学生

はひとりよがりで、ディスプレイが下手である。多くの人に知ってもらわなければいけな

いことを展示方法の稚拙さでその機会をうしなってしまっていることは残念であった。


早いものでこの学園祭に行くのは8回目になる。

8年の月日は長い。その間に学生気質も変わる。はじめのうちはただバカ騒ぎをして楽し

んでいる風であったが最近は学生の個性がみえてきた。簡単に言えばしっかりしてきたと

いうことである。それはこの大学に多い留学生の影響かもしれない。ぬるま湯のような日

本に育った彼らに、留学生は個性と自立の大切さを教えてくれたのだろう。

その学生の屋台の向こうに歓声が聞こえてきた。そばに行ってみると縄跳びを使ったパフ

ォーマンスをしていた。

何組かのグループにわかれ、音楽にのって縄跳びをしながら曲芸?やダンスを見せてくれ

る。はじめのうちはたわいのない遊びと見ていたが、なかなかのものである。そのうちに

女子学生が縄を飛びながら逆立ちやでんぐり返しをはじめた。

それは、「嫁入り前の娘がなんというはしたないことを!」と、旧弊な言葉がひらめくご

隠居さんの目をひきつける、十分に立派な“個性”と“倒立”であった。


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