1/21のしゅちょう             文は田島薫

孤独のよさについて

だれかといつも一緒じゃないとだめ、独りでいることは辛い、って人と、どっちかっ

ていうと、独りでいる時のが好きで楽しい、って人がいるとすれば、どっちかが辛い、

ってことはそれのよさをわかってないか、またはわかっているけど、それの義務感か

ら逃げたい、ってことのどっちかじゃないか、って思うんだけど、いずれにして双方

が必要だ、って思わない人は多分いないはずなのだ。

で、人それぞれの性格もあるだろうし、内向的、外交的、どちらかに余計傾く、って

ことがあってもそれはもちろん当然のことだろう。

小学校中学校なんかでも、まず、友だちみんなと仲良く遊んだりはきはきと意見を言

ったりと外交的な能力と、きっちり独りで勉強していい成績を取る、って両方を教え

てるわけだから、それが人並みにできるようになると、とりあえず社会人として合格

ってことで、みんな安心するし、みんななかよく、って仲間もできる。

ところが、中々そういったみんななかよく、って輪に入れないタイプの人間がいる。

みんななかよく、って輪に違和感を持つタイプ。みんなの平均した興味の対象やそれ

のおもしろがり方に共感できなかったり、どうしても違った感想を持ってしまうタイ

プ。本当はだれもみんな感じ方は少しづつでも違ってて当たり前なんだけど、なかよ

しグループができると、みんなの感想に合わせてしまうことが起り勝ちで、それはな

んでか、って言うと、みんなが了承して楽しんでる雰囲気を自分ひとりの感想で台無

しにしたくない、って感情が働くせいなんで、これは一般に場の空気を読む、って言

って社会生活に必要な常識、ってふうにわが国じゃ老若男女思い込んでるふしがある

んだけど、それで自分を抑えて、みんなに合わせても、みんなと一緒が安心、って考

えるタイプと、思ったことをすぐ言って、ケンカしてなかま外れされるタイプ。

子供のころは、よくケンカしたり考えたりして、人それぞれの考えの違い、ってもの

が世の中にある、ってことをよく知る方が健全な気がするんだけど、このごろの子供

はそういったことにお互いに臆病になり誤解も生じやすいこともあり、本心をなかな

か出せないつきあいが多いようで、そういった環境の中でそのまま大人の社会人にな

ってるらしい人を多く見かける。

とりあえず波風立てなければ、その場の雰囲気を壊さず、楽し気につきあいができる、

って考えで、仕事やら政治やらが行われたとしたら、結果は悲惨なことになるのだ。

物事の真理を追究するためにはひとりひとりの思考と判断が必要なはずで、そのため

には人の意見を聞く他になかよしグループとあえて離れてたった独り、自分の頭で考

える必要もあるんだし、みんなと違った意見を持ち発言する、ってことは当たり前で

大事なことと考えるべきで、みんながそういうのなら私はかまわない、ってみんなが

言っては問題なのだ。




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