9/3のしゅちょう 文は田島薫
(神経症的愛国心について)
竹島や尖閣諸島の領有権主張で中国や韓国の一部の若者などが感情的になり、日本領
事館や日本料理店などに投石してガラス割ったりしてたようだけど、そういったこと
をするのは、わが国でもだいたいは片寄った情報を鵜のみにするオッチョコチョイの
場合が多いわけで、前回のわが国が起こした戦争だって、そういった片寄った情報で、
オッチョコチョイが大挙して自ら率先しちゃったわけなんだけど、その場合の片寄っ
た情報は国策によってなされ、情報のありかを知っていた例外を除いたほぼ全国民が
それを信じていわば半強制的に総オッチョコチョイにされたわけで。
ITといわれる高度情報化の進んだ今日は、そういった国策による言論や報道統制はし
にくい時代になってるはずなんだけど、逆にいい加減な情報も同時に氾濫してるわけ
で、ある程度は片寄った情報を信じてしまう層も出るのはしょうがないといえばしょ
うがない。
で、それぞれの国にはそれぞれの立場と言い分があり、国対国の利害が対立するのは
常に避けられない現実としてあるわけで、だから、恒常的で密な外交で利害の調整を
していく必要があるんであって、情報が自国の都合のみでまとめられたもので、他国
を非難した形であった場合、その表現が意識的または無意識的でも、自国の正当性を
強調したりすることがエスカレートし、自国の文化などを極端に美化したりして、こ
の美しい日本を守るのは君たちだ、人には愛する者を守るために命をかけなくちゃい
けない時がある、などといった無責任なスローガンに乗せられる気分や危険性はだれ
にでもあるかもしれないんだけど。
愛国心ってものが、自国の自然や文化や身内や友人を愛することと規定するとすれば、
それはわが国に限らずどこの国の国民にもあてはまることであって、どこの国の国民
もどっかで自分の国は世界一愛すべき国だ、って思ってるはずだろう。
自国の都合ばかりでまとめられた情報だけ信じカッとなり、他国を悪の国と決めつけ、
自分はその悪と戦うんだ、って思ったら、それは子供か神経症の発想なのだ。
世界の事情には心を空しくして他国の事情にも謙虚に耳を傾けあい、それぞれの国の
愛国心にも敬意を示していくことで、つまらない戦争はなくなるはずなのだ。
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