9/25のしゅちょう             文は田島薫

楽天主義について

どんなきつい状況でもなんとかなるさケセラセラ、ってような唄、植木等のもそうだ

し、言葉でも色んな人が同じようなこと言って、苦境にある人を励ましたりするんだ

けど、苦境の当人が素直に、そーなんだよななんとかなるもんだ、って思うようにな

るまでけっこう時間がかかったりするのは、多分、自分の苦境と世の中の人々の幸せ

そうな生活とを比べてしまうせいだろう。

それが証拠に戦時中や戦後の周りを見渡してもほぼ全員がその日の食べ物もないよう

などん底生活でも人々はけっこうみんな明るかったようだし。辛かったりするのが自

分ひとりじゃなければ、けっこう幸せな気分でいられるのだ。

じゃ、他人と比べなけりゃいいじゃないか、って自分で思えればいいけど、自分より

幸せそうでいい生活してるように見える他人から言われても、なかなか納得はできな

いもんだろう。

他人が高級な布地やブランドものの服着たり、高性能電化製品や自家用車乗ったり、

レストランで食事したりしてるのに、自分は着た切り雀で、エアコンなくて、ボロボ

ロの火吹きそうな扇風機で涼とったり、食事は安い屑肉か干物だけ、って生活だと、

けっこうミジメな自分、って思うかもしれないんだけど。…、で、

ちょっとまて!戦時中はそんなもんじゃなかったんだぞ(私はほんとはしらないんだ

けどさ)、さっきも言ったけど、おかずがどうこう、じゃなくて、ご飯さえなくて、

芋を、それも少量のそれを分け合ったり、それすらなくて、芋のふつうだったら食わ

ないつるを食ったり、それすらなかったら、なにも食わなかったり、ってことだった

ようで、あの有能な思想家吉本隆明さんだって、腹へって陸橋をのぼるのも大変だっ

た、って思想がどうのこうののレベルじゃなかったみたいなんだから。

わが国の今の時代、仕事がなかったり所得格差がひどかったり、で不遇な層はいっぱ

いいるんだけど、戦時中のレベルで考えたら、いくらバイトの賃金が安くても、食べ

物がなにもない、ってことにはならないわけだし、衣服だってリサイクル屋で100円

で手に入る時代。生活が命の危機、って状況ではないはずなのだ。周囲と比較して気

落ちさえしなければ、元々不公平な世の中で見栄はんのやめ、利用できるもんはみん

な利用してロビンソン・クルーソの気分でサバイバル、って考えてみたら、オイオイ、

こんなにラクでいいの?これじゃ冒険にもなりゃしない、ってもんなのだ。




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