●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの友人はもどきさんの意見に反対したようです。



題名あれこれ

なにか作品を発表するときは題(タイトル)が必要である。

小説でうまい題をつける作家は有吉佐和子で、「恍惚の人」とか「複合汚染」とか「不信

のとき」など内容と題がぴたりと一致してうまいなあ、と感心する。

また石川達三の「四十八歳の抵抗」や「人間の壁」なども思わず手にとって読みたくなる

ような題である。

経験上、本がたくさん並んでいたら題と始めの1行の文章で選んでしまうことがある。多

くの読者はやはり題名で読書欲をそそられるのではないか。そのくらい題は大切で、内容

を適切にあらわし、しかも興味をひきつけることが求められる。

映画に至ってはその題で興行成績にかかわるから、とかくセンセーショナルな題をつける

ことが多い。

それでは、絵画の題はどうであろうか。

先日友人の展覧会にいき、あまりにも無造作に題をつけていたので、題をもっと工夫した

ら、といってみたら、「題なんてなくてもいいんだ、見る者が自由に解釈し、感じればい

い」という。

確かに部屋に絵を飾ってしまえば、題などのシールははずされるのだし、絵は向き合うっ

て感じる感性のものなので、観賞すること事態が勝負である。だが、展覧会は発表の場な

ので、一つの情報としてあれば題があれば観賞する楽しみが倍加するというものである。

例えばよく見かける「作品A」とか「静物」といった題はなんか無味乾燥で素っ気ない。

凝った題からは作者の情熱や絵の意図するものを感じて絵の印象までが変わると思うのだ

が、いかがだろうか・・・

友人とちょっとした議論になったが、大いに考えさせられた事柄だった。


戻る