9/10の日記          文は田島薫

フォークギターとサッカーとハルキにビール

土曜は朝から大雨で、こりゃきょうは一日中雨か〜?って言うと、家人が、やむって、

って言った通り午前中にはすっかり晴れたもんで、自転車で食料の買い出し。

帰ってからブランチ食って、午後は先週読み残した村上春樹の読書してから、ちょっと

庭出て、先週買っておいた木の枝の切り口保護剤を、先週切った山桃に脚立立てて塗り、

伸び切った雑草をざっと床屋さんして居間に戻ると汗びっしょ、すぐにシャワー浴びた

いとこなんだけど、3時すぎにヤングなでしこの3位決定戦があるし、その場運動の予定

も控えてるもんで、なでしこ戦の終わりまで今週はフォークギター弾きながらテレビ観

戦しておあずけ、なでしこ、ナイジェリアに勝利。

その場運動してシャワー浴び、とーふときゅーりで少し早めの冷えたビール。

晩もずっとフォークギター弾き続けながらテレビ観たりうとうとしたりしてると、遅い

時間に戦中に活躍した女流作曲家の吉田隆子さんの話やってて、反戦的態度で特高に留

置されたり体を壊して病床にいる時にラジオからの音楽を聴いて感情をゆさぶられてた、

ってナレーションのバックにラジオからのドビュッシーの月の光が聴こえてて、あ、こ

う聴くと、ドビュッシー、創造的な音楽だったんだな〜、ってあらためて感じた(番組

の趣旨とずれてるじゃね〜か、おいおい)。

で、日曜も、村上春樹読んだんだけど(2週に渡って読んでるんだから私は読むのおそ

ろしく遅いね〜、世の中には10分で1册読めるって人もいる、て言うのに)、バックに

ドビュッシーの月の光かけた。もっとも、富田勲のシンセサイザーのやつしかなかった

もんで、私が無意識に求めてたもんはどうも得られなかったみたいだった。

村上春樹の本中にも音楽の話は沢山出てきて、ものすごい量のジャズを聴いてることに

感心したんだけど、どうもロックの方はそれほどでもないようで、ビートルズよりビー

チボーイズに肩入れしてるとこなんか読むと、感じ方は人それぞれなんだろうなあ、っ

て思ったり、先にジャズに心奪われた彼の「不幸」または「幸福」を感じた。

私は別に春樹さんと張り合うつもりはないんだけど、先にロックに心奪われ、20代ごろ

までは膨大な量(?)のロックを聴いてて、後にジャズも聴くようになり、仕事中の

BGMはジャズの方が多くなってきた、って逆バージョンなのだ。

学生のころには、春樹さんのようなジャズ好きの友人が何人かいてジャズ喫茶につき合

ったりもしてたし、何枚かのアルバムも買ったしジャズのよさもよくわかるつもりなん

だけど、ロックと同量のインパクトを感じたことはない気がする。

ジャズはどっちかというと、自由、創造の気配、渾沌、といった部分に魅力があって、

それを意識すると、単調に整頓されたロックが味気ないもんに感じるもんだからジャズ

ファンはこの時点で勘違いしがちなのだ。ロックの神髄はそういった、耳で表面的に聴

きわけられない、エモーショナルなインパクト、ってとこにあるから不滅なのだ。

そんなことを考えながら夜通し下手なフォークギターを弾き続ける私であった。




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