9/10のしゅちょう             文は田島薫

表現の多様性について

今回の日記で、村上春樹さんの音楽の聴き方に触発されてジャズとロックの違いにつ

いてちょっと考えたんだけど、音楽に限らず絵でも文学でも、はたまた人の性格まで、

やはり、表現ってもんには色んな形があるもんで、それは当たり前のことなんだし、

それぞれ違った表現をきちんと正当に受け止めて、豊かな感受性の幅を広げる、って

のがいいんだと思うんだけど、だれでもたいていは自分の感覚や考え方に合うもんが

知らずに一番良質なもんだ、って思いがちのようだ。

それだもんで、自分ではその表現能力がないとしても、その自分の単なる趣向を拡大

評価して、それとずれる形態の表現を軽く見たり小馬鹿にしたりするような評論家的

立場人間が増大する風潮を見聞きすることがあるわけだし、自分自身だってそんなこ

とをつい感じたり気楽に言ったりしたこともあった気がする。

でも、年を重ねるほどに、じわじわと、それぞれの違ったジャンルの表現の独自の価

値観のようなものがわかってきて、あ〜、安易にそれの価値の上下を言うのは間違い

なんだな、って気がつくわけなのだ。

春樹さんが音楽ジャンルの価値の上下を言ったわけでもないのに、私が勝手にそんな

テーマで話を進めててももちろん春樹さんに責任はないんで、ただ春樹さんが一番好

きなのはジャズなんだろう、ってことと、私が一番好きなのはロックなんだ、ってこ

とはお相子なんであって、だからと言って、どっちが正しいとか、ほんとはこっちが

価値が高い、とか言うのはナンセンスだ、ってことは確かなのだ。

ジャンルじゃなくて、どんなジャンルでもいいものとわるいものはある、ってことは

あるんだけど、じゃ、そのいいわるいの判断はだれがするのか、って問題は残る。

で、何が言いたいんだ、ってことになるんだけど、世の中に成り立って残ってるもの

にはそれぞれ残るだけの価値があって、それを親身に必要とする人間以外には、その

価値がわかりにくいもんだ、ってことと、だから、自分がわからないから、その価値

はたいしたもんではない、んじゃないか、ってたいていの人は感じがちなもんだ、っ

てことで、だから、常に自分の感覚というのはいくら感度がいいね、などと人から誉

められたとしても、それはワンノブゼム、多様性のなかのひとつの形態である、って

謙虚に考えた方がいいのだし、その上でその自分の感性の表現の究極を求める、って

ことがいいのだ。




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