●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
シリーズ8回め、大切にしたいようなクセ。



シリーズ なくて七癖

筆跡

大きな声ではいえないが高校時代書道部にいた。

王義之とか顔真卿とかの中国の書家のお手本を見ながら毛筆でひたすら書く。何枚か書

くうちに猿真似よろしくなんとか様になって、そのときはうまくいったと思うのだが、

普段ノートに書くペンや鉛筆の文字は一向に上手にならなかった。特に横書きなどはひ

どかった。

そこで私は気がついた。筆で書く書道や習字は実用文字とは別物。まして日常手段とし

て書く文字にはその人特有の癖が出てしまうということ。美筆家や悪筆家というのは生

まれつきで根本は直らないのだと。急いで書くほどそのひとの持って生まれた癖のよう

なものが出てしまい、今まで練習した習字の楷書も行書もへったくれもないのだと。

そう悟った私はすっかりやる気を失くした。

高校生の私は、書道の芸術性もわからず、もちろん書家になりたいなどという志もなく、

ただ、友達とつるんで楽しく綺麗な字を書きたいだけだったのだ。

そんなわけで以後私は、書道に近づいていない。


そこで話は変わるが、最近地下鉄サリン事件の高橋容疑者を特別手配している際に、手

がかりとしてその筆跡が新聞に公開された。その見出しは「筆跡、9の文字に癖」とあ

った。書かれた筆跡を見ると、高橋容疑者は字を崩すことなく、生真面目な印象だった。

こうみると犯人の決め手になるほど文字は指紋とか、声紋とかと並び、立派な個人情報

である。

最近パソコンの普及とともに、手書きの文書や手紙にお目にかからなくなって、読みや

すいけれど、その人となりを表す個性がなくなり無味乾燥だ。

たまに手書きの文字をみると、書いた人が具体的に立ち上がり、頭が良いような文字と

か、崩し字のないのを几帳面な人とか、のびのびとしたとか、若々しいとかいろいろな

想像が膨らんで楽しい。

科学や技術の進歩はたくさんの情報や機能を提供してくれるけど、失われることも多い

のを改めて思った。


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