6/4のしゅちょう             文は田島薫

(想像力について)

だれでも想像力は持ってて、日常的に無意識にそれを使ってるはずなんだけど、それ

の豊かな人とそうでない人がいるようで、私の場合は特別豊かでも乏しいわけでもな

い気がするんだけど、それには基準ってもんがあるわけじゃないんで、自分で勝手に

評価すればいいだろうけど、想像力は、たとえば芸術を志す者にとっては、それの質

量といったもんがその成果を決める、と言ってもいいぐらい大事なもんなのだ。

想像力、ってもんは、目くるめく豊かなビジュアルイメージを目の前に並べてそれを

受動的に鑑賞する、ってこととは違って、例えば、一個のりんごを前にそのイメージ

の可能性を、味、におい、色、形、名前、つや、手触り、痛み、笑い、悲しみ、その

他、連想を含めたあらゆる面から味わったり感じたりして、それを自由に再現すると

いったことなのだ。

だからそれを育てるには、原初的な五感を磨く、よく使う、ってことが大前提になる

わけで、現代の氾濫する結局はパターン化されたコンピュータグラフィック等に浸っ

て、条件反射のように一般一律的な感性の反応をすれば済むわけではなく、ごく普通

の生活の中で、人とのつながりを感じたりする一方、ひとりぼっちの孤独と不安の時

間も経なければ得られないもんなのだ。想像力にはいつも苦しみが伴う、苦しみのな

い想像力、ってもんはない、って言い切れるほどだ。

じゃ、想像力はいらない、って言ったとしよう、そうして(そんなことは不可能に近

いわけで、それの皆無の人はまずいないわけだから)、それのない人がいたとしたら、

その人は社会生活がなりたたないはずだ、だって人の気持ちも世の中のルールの必要

性もわからないわけだから、やりたい放題やって人の迷惑顧みず、ってことになるわ

けで、いや、でも、こういう人、程度の差はあってもいるわけで、当人は楽しくやっ

てて、周りがなんとかフォローしておさまってる関係など。

この逆は大変で、人の気持ちがわかり過ぎて、そっちばかり考えたり、自分の気持ち

を素直に表現できなかったりで、辛くてしょうがないなど。

ま、だから何を言いたいのかわからなくなってきたんだけど、いくら想像力が大事、

って言っても、適当、ってことも必要で、想像力に苦しみが伴うのは仕方ない、って

考え、些末な場合のそれは適当にして、これこそ自分にとって大事なテーマだ、って

ことにはフルにそれを発揮すればいいんじゃないか、と。




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