思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいが、わが国の学歴偏重社会の矛盾を総括。
こまった話し
高学歴貧困という言葉を知った。
AとBという人がいる。ふたりとも一流大学の大学院を出ているが30歳を超えても20
万円に満たない収入しかない。
理由は二人の学歴に見合う仕事がないという単純明快な話し。
二人は社会学と物理学という基礎学問を勉強している。高度の学問を修めた人は世の中
にそう沢山はいらない。そこへ修士さまの乱発では仕事がないのはあたりまえ、といっ
てしまえば簡単だが、物事はもうすこし複雑である。二人とも就職氷河期に大学を卒業
したが就職先がないので大学院へ進んだ。
ここから間違いが始まる。そもそも大学院というところは大学では学べない高度な学問
をするためにあるはずのものが就職浪人をさけるための避難所になってしまっている。
現在の大学院というところは大学教育のレベルが下がったために設けられたところで当
然レベルもさがり昔の大学院と質が違う。これは以前学位の門戸を広げようと博士号の
乱発をして博士浪人が巷にあふれた現象とよく似ている。
では、どうしてこのような現象がおこるのか。それは中身ではなく資格で評価をする日
本の社会に原因がある。昔は中学、高校卒業でも社会生活をするうえでなんの不自由も
なかったのにいつのまにか大学を出ていなければ満足な収入を得る仕事に就けないよう
にしてしまった。では、大学を出た人が増えたからといって世の中のレベルが上がった
かというとそんなことはない。分数の計算ができない大学生がゴロゴロしている。
大学や大学院へ進むのは個人の自由だが、問題は公立私立にかかわらず多額の税金がそ
そがれていることだ。国家に金がないといいながら税金を使って世の中に不要な人間を
作るというシステムはおかしいのではないか。