5/28の日記          文は田島薫

田舎の暮し

両親があいついで亡くなり茨城の家にいるのは私と家人だけで、来月下旬の法事までい

た後さいたま市のわが家に帰る予定なんだけど、その2ヶ月足らず後には初盆の法要で

また来て1週間ほどいて、そのまた3ヶ月後には親父とおふくろの合同一周忌で来たら、

その後は両親の家を売却する方向に行くことになりそうだ。

先週は妹が来た時、両親のいた家に引っ越して住んだらどうだ、って聞くと、いやだ、

って言うし、じゃ、私はどうか、って言うと、おふくろの看護が続くんであれば、それ

もいいんじゃないか、とも考えてたんだけど、両親がいない今は、その必要性はなく、

ただこの田舎暮しを楽しめるかどうか、ってことだけで決めるとすると、やはり両親が

長年住んだ生活の形を子供である私が踏襲することにある種の空しさを感じるのだ。

別にその踏襲、ってことの必要性はないんだろうけど、やはり、謹厳な親父が築いた住

居環境を革新するのも申し訳ない気がするし、それじゃと、そのままで生活するのは楽

といえば楽かもしれないけど(元々ここで住むことに反対の家人にもそれはさらにいや

そうだし)、なんだか私にはその呪縛のようなものに気が重くなるところもあるのだ。

ここはそういったことに無関係な人物に買い取ってもらって、新しい環境でもなんでも

創ってもらう方が気楽な気がする。親父とも気が合っててこの土地に愛着もあるいとこ

に買ってもらうのもわるくない、そうすれば墓参りの時に気楽に寄れるし。

そんなことを考えてる土曜の朝、葬儀社から墓石におふくろの名前を刻んだ、って電話

があり、その午後はママチャリで6キロ先のスーパーへ出かけた。

筑波山を望みながら、山里風の田園や林の風景の中をペダルを漕ぐのはいい気分で、こ

こで住むのがなぜ悪いんだ、って気分もよみがえる。

ねこさんうじゃうじゃの家寄ったりして、段ボールいっぱいの食料買って帰って来ると、

もう墓石刻み料の集金が来た。支払った後、念のため確認に近所の墓へ行ってみると、

墓の北側の方で地域組合の静男さんらしき人がだれかと話してるのが見えた。それより

南側の入り口から入って北の方見るとこっち見てる静男さんに気がついたんで、こんち

わー、って言うと向こうもこんちわー、って。両親の墓行って、新しい文字を確認して

ると、静男さんがやって来た。2年ほど前に彼の親父の葬式の打ち合わせに組合員とし

ておふくろの代わりに参加して初めて顔見知りになって以来、時々、ウォーキングして

る彼と行き会ってあいさつする以外彼とはまともに話をしたことはなかったんだけど、

両親の家に住まないのか、って質問されたり、おふくろが元気でこの正月の新年会に歌

聴かせてくれたのになどと言ったんで、いろいろ世話になったお礼を言ったり、彼の家

の墓が両親の墓のとなりだと知ったんで、おとなりでこれからもよろしくと言った。帰

りぎわ、ウォーキングについて言うと、毎日2時間歩いてる、って言うんで、そりゃ健

康にいい、ってほめたら、老いは足から来るからね、って笑った。




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