思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいの美学が、無意識に働いてるようです。



しおり



ちょっと詩的なひびきがある。

詩織ちゃん、紫織さん、小織バーさん。どこに詩を感じるかは人による。

かんたんな辞書をひくと、〈枝折=本の読みかけの所に、はさんで目印とするもの。手引

き。

奥山・荒野などで、通った道の目印に、木の枝などを折っておくこと〉とあるが、きちん

とした辞書をひくと、〈枝折=山路などで木の枝を折りかけて帰路の道しるべとすること。

栞=枝折から転じて、手引き。案内。読みかけの書物の間に挿んでしるしとするもの。古

くは木片、竹片などでつくった〉と、枝折と栞をきちんとわけて書いてある。

ほかにしおりと読む字に「萎」と「撓」がある。どちらも哀感にかかわる意味をもつ。

と書いてきたが、今回しおりについて薀蓄をかたむけようというわけではない。


しおりというものは、買った本に入っているもの、広告が入っていて書店でくれるもの、

わざわざ買う凝ったつくりの高価なものといろいろある。

手もとに書店でもらったしおりがたまっている。日頃、2,3冊の本を並行して読んでい

るので、これらのしおりのおせわになっている。

先日、自分でも笑ってしまうことをしてしまった。

『晴れた日は巨大仏を見に』という、日本全国の巨大仏をみて歩くチンケというかケッタ

イというかおもしろい本を買った。

その本の読みかけのところにしおりを挿もうとしたとき忽然としおりの絵柄を選びだした。

この本にはやたらなしおりを挿んではいけない、という奇妙な衝動にとらわれてしまった。

数あるしおりのなかから選び出したのがサーカスの絵が入ったしおり。本の内容にサーカ

スのもつある種のいかがわしさが重なったようだ。

「うん、これならぴったりだ」と納得するまでの数分間を思い出してもおかしい。


そのあと、読みかけの本のしおりを調べてみたら内容の硬い本には岩波や講談社のしおり、

柔らかい本にはデザインのよい広告のしおり、雑誌には厚めのかたいしおり、とそれぞれ

に本としおりの関連をいつのまにか選んでいる。こういう行動をするわがはいのノーミソ

はどうなっているのだろう…という、たわいもないお話しです。


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