●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
ロマンチストもどきさんから、男の魅力についての、ひとつの見方。



ほかいびと

私は「うらぶれ」に心を惹かれる。ことに男の背中にうらぶれた哀感がにじむのはい

い。功成り名を遂げたキンピカの男にはない味わいがある。

(男は好きな本を片手にふらりと旅に出る。鈍行の列車の中で、たどり着いた辺鄙な

田舎町で、ゆらゆらと意識は夢と現の間を行きつ戻りつ旅を楽しみ漂流していく。と

きには路上で見かけた野良犬の頭を撫でているうちに、次第に空が暗くなり、ぽつり

ぽつりと雨が落ちてくる。雨は「うらぶれ」の衣のように男の身を濡らしていく)

こんな空想をかきたてたのは一通の手紙であった。

1昨年伊那谷へ紅葉狩りに出かけたときに案内をしてくれたOさんから、幕末から明

治期にかけて伊那谷を放浪した俳人井上井月(せいげつ)を描いた映画「ほかいび

と」の上映の知らせであった。

「ほかいびと」とは「人の門戸に立ち寿言(ほかいごと)を唱えて回る芸人。物もら

い、乞食」(広辞苑)のことだそうだ。瞽女・萬歳・祭文語りなどが典型という。こ

うした人々は昔農村においては異なる文化の情報伝達者であり、非日常性を村人に演

出し、遠い都の香りを運んでくれる旅人でもあった。

俳人井月の名は世にあまり知られていないが、家もなく家族もなく、戸口にたって物

をもらい、一宿一飯のお礼に句を置いて去る「ほかいびと」であった。あの山頭火は

井月を敬慕し、影響を受けたといえばおよそのタイプはおわかりだろうか。

井月は限りなく美しい伊那の風景、人情厚い人々、そんな伊那の風土に溶け込んで遂

に他所へ去ることなく、「ほかいびと」として伊那の地で野垂れ死に同様の最後を迎

えたのである。

今伊那では改めて注目の人となったということであった。

世の中には格差をあらわす「負け組」「勝ち組」なる嫌な言葉が出回っているが、そ

れは単なる表面にあらわれたはかりそめの現象にすぎない。これは私の勝手な偏見だ

けど、勝ち組も負け組みもやがてうらぶれて、うらぶれの中に自由、ぬくもり、信念

の美学が潜んでいることに注目したい。

乾く間もなく 秋暮れぬ 露の袖   (井月)

老いゆくその手に古本などをたづさえてげに男はうらぶるべし、なのだ。


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