●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、生きてる喜び、を実感してるようです。



春がきた

今年の春ほど待ち遠しかったことはない。

ことのほか寒かったし、豪雪でお年寄りが難儀するテレビ画面や被災地の寒さに慄く

姿がでるたびにあーあと心が痛むし、日本先細り要因がやたらと語られるに至っては

悲観的にならざるを得ないし、はたまた冷え性の私に腰痛が再発するし、1月にとり

かかった同人誌に出す作品が思うように書けなくて鬱々としていたし・・・

そんなこんなで重苦しい、暗くて長い冬だった。

それでも、春のこない冬はない、の例えどおり、ようやく春めいて日差しが明るくな

り、木々は芽吹き、梅も水仙も木瓜も満開になり、桜便りさえ聞かれるようになった。

陽だまりの中で伸びをすると、凝り固まった体が柔らかくほぐれていくようだ。すっ

ぽり春の中にいる幸せ・・・

なにも身辺状況は変わっていないのに、春になったというだけで気持ちはほっこりと

明るく変わる。自然の力とはすごい。

「ああ、また春が来た」

春を喜ぶ感性は年々鋭くなるようだ。それは若者特有の青い春の時代にはなく、いく

つも四季を通り越えて歳を重ねてきたからこその贈り物。例えば、なんの変哲もない

小さいもの、春光に反射する家の瓦屋根、枯れた芝生の中のたくましい雑草の緑、濡

れそぼる町のネオンや春雨を吸収して柔らかな土を掘ってした野良猫の糞にさえも感

じ入ってしまうのは楽しい。

「ああ、また春が来た」

今年の春は命あってこそ春をみることができたのだなあ、としみじみ思う。そんな感

慨がわくのは去年の震災で多くの人々が命を落としたからだろうか。大切なものをす

べて波に呑まれたしまった人々にせめて暖かい春を喜んでいただけたら・・・


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