4/16のしゅちょう             文は田島薫

(恐怖政治の欠陥について)

きょうの朝、忙しいっていうのに、おふくろが観る韓国ドラマいっしょにつきあって

観てたら、戦国時代もので、敵前で味方の兵士やリーダーまで傷を負い、そういった

負傷兵は行動の足手纏いになる、ってことで、次々殺すことをリーダーが指図し、や

がてリーダーもその傷を負い、副将にリーダーを任した後、部下に自分を殺せ、って

命令する。

部下もリーダーである自分もある意味平等に扱うところは、自己保全を前提にして乱

暴な命令をするような、よくいる日本の戦中戦後現在のリーダーより偉いんだけど、

結局、ひとつの決められた逃れられない法則と思い込んだリーダーによって、遂行さ

れる行動パターンが、それを命令するのが、部下の命を自由にできることになってい

るらしいリーダーであるために、部下たちは、やがて傷ついた自分も殺されるかもし

れない、って恐れるのだ。

けっきょく、ドラマでは、その矛盾を説得できる主役が、問題回避させることができ

るんだけど、そのセリフが、なるほど、って感心したのだ。

その主役が遇った王は、傷ついた味方を背負って助けるために、自分たちに砂袋だっ

たかを背負って山を登る訓練を何度もさせたのだ、と味方は生き延びることを最大の

目的にすべきで、味方は自分たちの命を十全に尊重してくれる、って信じられるから、

団結してより戦いに力を発揮させることができるのだ、と。それと逆に、いつ自分の

命が奪われるかもしれない相手に、信頼をおくことができるだろうか、と。

そりゃそうだ、それが味方もそれなら、内から組織崩壊するに決まってるだろう。

本来は地球上から敵味方をなくし、みんな仲間ってなるのが理想なんだろけど、大体

恐怖政治で政権が長期に安泰するはずはなく、生きることを目的に信頼しあった組織

が長もちしそうなことはわかる。

そういった信頼を地球や宇宙全体に広げて行く、って姿勢が多分いいはずなのだ。




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