思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、あくたがわしょう小説の読み方模索のようです。
あくたがわしょう
すっかり読まなくなってしまった文芸春秋。
出先でひまつぶしに買った、といって老妻がもってきた。
今月号は芥川賞受賞作が載っている。田中慎弥の人前を飾らない記者会見がよかったので、
どんな小説かと読んでみた。
田中慎弥『共喰い』。世の中まだ落ちついていない昭和30年代にはこのような忌まわし
い“サガ”から逃れられない人が起こす事件はざらにあったように記憶する。
どこか懐かしい景色のなかで繰り広げられるちょっとあぶない話しと、リズム感に富んだ
文章は読みやすく一気に読了した。感想は、と聞かれても興味をそそられたとしか答えよ
うがない。読解力を欠くものの感想である。
円城 塔の『道化師の蝶』は難解でした。難解というのは何かが解かった上でいう言葉だが、
なにが難解であるかわからない難解だ。
とにかく読みにくい、の一語につきる。しかし、つぎのセンテンスに誘い込む魔力をもっ
ている。黒井千次氏も選評に書いている『しかしこのわからなさの先に何かあるのではな
いか』につられて、なんども中断しながら読みあげてしまった。この何回かの中断のとき
アルゼンチンタンゴのレコードをかけ、これを聞きながら読むと不思議とすらすら読める
ことを発見した。聞いていたのは古典のタンゴ。楽曲を整理整頓しつくされて名曲となっ
たものと違って古いタンゴはアドリブが多い。つぎにくるリズムを想像できない。つまり
脳ミソを柔軟にする。このあたりが『道化師の蝶』の構成とマッチしたのではないか。
いくつかの語りで構成されたこの小説は、どこでやめても、どこから読んでも苦にならな
い。普通の小説のように物語の流れや登場人物を覚えておく必要がない。これこそ作者が
書いている『旅の間にしか読めない本』なのかもしれない。
理系人間の本質か、どこか心ひかれる小説である。この本一冊もって旅に出て、理解でき
たらワガハイ鬼才の仲間にはいれるかも。