2/14のしゅちょう             文は田島薫

(死とのつきあい方について)

私は3ヶ月ほど前に親父を亡くし、今度はおふくろも危ないところを行ってるらしい

って状況もあり、生と死について考えない日はないわけで、それをとりとめもなく。

死、ってことについて、私自身も子供のころなどは非常な恐怖ととらえていたんだけ

ど、歳を重ねるごとに、それがそれほどの恐怖の対象ではないような気がして来てる

ようで、それはひょっとすると、子供のころに描いてた人生の素晴らしさ、といった

漠然とした夢やイメージが、次々と現実の厳しさや不合理さなどの印象によって破た

んしてしまったせいなのかもしれない。

そんなこと言うと、夢も希望もないようだから死んじゃおうか、って考えちゃいそう

だけど、そんなに絶望ばかりの暗黒のイメージを持つこともなくて、目もくらむよう

な素晴らしい幸福、なんてもんは、まずそのへんには見当たらないもんだ、ってあき

らめたとしても、心の持ち様で、当たり前のなんでもないような生活の中に喜びを感

じることはできるのだ。

多分庶民の大多数は大それた望みも持たずに日々家族や仲間と笑ったり泣いたり時に

は喧嘩したりして生活して行くことだけで幸せを感じているもんなんだろう。

多分、子供夫婦や孫と一緒の昔の大家族制のような生活をしていると、順に子供が大

人になり、それぞれ自分の位置がわかり、やがて自分も年老いて最期の別れが来る、

ってことを自然に受け入れることができるのだろう。

それが、核家族化して生活しているわれわれには、自分がいつのまにか老人になって

ることをなかなか認めにくくなり、いつまでも若いつもりで、若さを保つことに精を

出してるもんで、いつか突然、あなたの寿命がまもなく尽きそうです、ってだれかに

宣告された時には恐怖を感じるかもしれない。

できるだけ健康で長生きできるように心がけるけど、その希望通りに行く保証はない、

って考え、死ぬ時は死ぬんだな〜、って、せめて生きてる時間は貴重なんだから精一

杯生きてることを「楽しもう」、ってことでいいんじゃないかと思うんだけど。


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