思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、自分の青少年時代の世相と今をくらべて感慨(?)に浸ってます。



「心が豊か」は罪作り

「モノがあると、心が豊かになる!」けだし名言である。おおいに啓発された。

しかし、後にくる「負の遺産を次世代に先送りする…」にはもろ手をあげて賛同できない。

ご先祖様の遺物というものは見方をかえるととんでもない価値があるものがある。

小生の母親の遺品のなかに、戦後すぐの金銭出納帳をみつけた。いまでいう家計簿である。

そまつなザラ紙をこよりで綴じたそれには敗戦時の苦労がびっしりとつまっていた。これ

はひとつの物語である。歴史あるものはひとくくりにゴミとはいえない。

とは言え、数多く年寄りの家を片付けた経験からいうとこんなガラクタをとっておかない

でなぜもっと広々と快適な生活をしなかったのか、と思うこともたしかだが…。


おっとこんな話を書こうというのではない。

人様の話を拝借するにはこれくらいの儀式がいる。

「モノがあると、心が豊かになる」を読んだあと、ふとわが身のまわりをながめて「もう

少し豊かさを減らそう」と一大決心をした。もっともこの「一大決心」は二度や三度のこ

とではないが…。

カメラのコレクションや蔵書はしかるべきところに寄贈して大分さっぱりしたがどうして

も手がつけられないものは自分自身にかかわるものである。小、中、高、大とそれぞれの

時代を語るものが相当量ある。ちょうど大学の同窓会から、何方か昔の同窓会誌をもって

いないか、との呼びかけがあったのを機会に今回はその聖域に手をつけた。

もちろん「心豊か」だからすぐに何冊かがみつかった。

そのなかに中学校の同窓会誌がまざっていた。奥付をみると昭和28年発行とあるので、

自分はまだ中学生ではない。兄の物だ。

寄稿文形式で作られた会誌のページをめくっていくと兄の同期生で顔見知りのなつかしい

先輩の名もでてくる。一様にいえることはみなさん文章がしっかりしているということだ。

当時は、中卒で就職するのがあたりまえの時代であった。就職をした人、夜間高校へ進ん

だ人、進学した人たちが社会と自分とのつながりをふまえてそれぞれにきちんとした問題

意識をもって書いている。これらを読むと教養と学歴はなんの関係もないことがわかる。

その中に看過できないものがあった。表題は『選挙寸断』とある。イニシアルで書いてい

るので誰かはわからないが引用させてもらう。


〇…選挙の結果。全国7千万の主権者が決して、無批判に投票したものでないことを示し

てくれた。何故なら改進党は大幅に議席を失い、左派社会党の進出は著しかった。

〇…主権者の一人一人が各々の一票を通して何を叫ぼうとしていたか……。

〇…私には判る。私達は生きたいのです。平和に暮らしたいのです。ただそれだけを願っ

て……主権者は尊い一票を投じたのに違いありません。


昭和28年というと講和発効の翌年。独立の喜び反面日米安全保障条約の締結に伴い戦争

の悪夢がよみがえった年でもある。改進党は、戦前の民政党の公職追放が解除されたメン

バーを中心に反吉田自由党を旗印に前年結党された。修正資本主義を唱えたが改憲派と護

憲派のあいだでもめ事がつづいた。このまとまりの無さはいまの民主党そっくりである。

この党は後に鳩山民主党となり保守合同で自由民主党になった。社会党左派。当時社会党

は、穏健な右派社会党と急進的な左派社会党とに分かれていた。とくに左派は反米、反戦

の意識が強くいまのソフトな共産党を思えばよい。後に右左統一していわゆる自社55年

体制となったがその末路はご存じの通り。

目に見える社会形態は現在とおおきく違うが、当時の国の行く末にたいする不安感はいま

と同じ、いや、再軍備の声を聴いた恐怖はいまの比ではない。


母校は、戦後新しく出来た中学校なので当時最年長の卒業生は19歳であった。

今回の衆院選挙を終えて、平成24年の19歳はどのような問題意識を持って『選挙寸断』

を書いてくれるのだろうか。「いいね」で済まされては困ってしまう。

なまじ「心が豊か」であったために、よけいなことを考えるはめになってしまった。


戻る