11/5のしゅちょう 文は田島薫
(人生の短さについて)
昨日読んだ古代ローマの哲学者セネカが書いた「人生の短さについて」のさっそく
の受け売りと感想でお茶をにごす、ってことであしからず。
2000年以上前の人が思ったことが今でもそのまま通用するのは、人間の心、っても
んはなかなか進歩しにくいもんだ、ってことなんだろう。
大部分の人々は自分の人生がいつまでも続く、って無意識に信じてるようなとこが
あって、いろんな仕事や頼まれ事などで忙殺された生活をしていても、例えば60才
になったら仕事やもろもろの雑事をやめて自分の好きなことしよう、って考えたり
するんだけど、60才から先の人生があるかどうかは保証されないし、その直後や手
前の歳でこの世を去らなくてはならない例も多い、と。そんな時に、自分の人生の
とりかえしのつかない失敗に気づくのだが、どうにもならない、と。
人は今ある時間の貴重さに気づかずに、安易にいろいろな意味のない雑事に巻き込
まれたり自らすすんでそれに精を出したりして、将来に理想の生活を想定、いつか
こういう生活をしよう、そのためには今は多少犠牲にしてがんばるのだ、って。
大事なのは今の時間で、将来来るかどうかの時間はあてにしない生き方がいいのだ、
と。きょうの日を、人生最期の日と思って、生活するのがいいのだ、と。っていう
のがおおよその要旨。
将来の目的を持って今をがんばる、ってことは、現代でもふつうの美徳と思われて
ることだし、それに日々喜びを感じてるんであれば、それでいいんだろうけど、そ
の目的のために、その成長段階の年令でしか味わえない例えば青春の情緒とか悩み
とか世界への興味や思考や試行錯誤のようなもろもろの生活をすべてなしにする、
っていうんであれば人生として空しい、ってことになるのかもしれない。
また、次々生まれるいろんな新しい物を欲しがったりそれを手に入れるために、余
計に働いたり、買って使ったり、いろんな雑事に義理立てして参加したり、ってこ
とをやってるうちに、大切な自分の時間をどんどん浪費してしまい、もう残り時間
は、なしです、ってことにならないように気をつけたいもんだ。
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