11/19のしゅちょう             文は田島薫

物の所有について

消費社会日本、日々生まれる新しくて便利な物を手に入れることが生活の最大の目

的のような生活をしてる人が多そうに見えるんだけど、ま、そんなことはあるはず

はなく、物は、もっと大事な目的を持った生活のための道具のはずなのだから。

しかし、より便利な新しいものを欲しがる気持ちは人の自然な姿だろうし、それに

よって経済活動が活性化するわけだから否定することはできないだろう。

ただ、それを手に入れることに執着するあまり、自らを過剰な労働に追い込むこと

が続くならどうなんだろう、ってことなんだけど、これだって、当人が望んでるこ

とだから大きなお世話だ、って言えばそうなのだ。

じゃ、何が言いたい、って言えば、所有の喜び、ってもんは空しいもんだ、って、

ことに早く気がついた方が人生が楽しいんじゃないか、って私の感想なんだけど、

これも大きなお世話なわけで、勝手に私が思ってることだから、そう思わない人は

気にしないで、新しいもんでも高級品でもなんでも欲しい物を手に入れるようにが

んばって働き続けてもらってかまいません。

こういう私も欲しかった物を手に入れた時の喜びも憶えてるし、欲しい高価な物も

あることはある。でも、それを買うために有り金はたいたり気乗りしない仕事をや

るつもりもない。

どんなに美しいよい品も、手に入れた後しばらくすると少し飽きるもんだし、また

次の新しい別の物が欲しくなったりするもんで、欲望にまかせてるとこれは切りが

なくなる。

自分はそんなに多くの物はいらない、本物をほんの2つ3つ所有できればそれで満

足、って言うならそれは私の考えとも似てるし、いいんじゃないかと思うんだけど

(って私は何様だ)、で、私の場合はとりあえずいい音がするギターなんだけど、

一応、問題含みにしろ一流メーカーのエレキとアコスティックを所有してて、それ

はただ眺めたり磨いたりしてるだけでなくしょっちゅう弾き続けてる。

道具としてこのように使ってるんならいいんだけど、その機能を十分堪能すること

もできずに、ただ所有してるだけだと、いくら美しい高性能な物でも、動かなくな

ったりするし、いやそんなことがないようにいつもチェックや整備を欠かさない、

って言うなら今度はその物は美しく機能的なままだとして、それの所有者である当

人は着実にボロになり、やがて物だけが残る、ってことを忘れない方がいいのだ。




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