思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいの部屋自体もアートでした。



書斎



書斎という言葉を聞かなくなった。

随筆がエッセイなんていうものになってから、のびのびと自分の想いを書いた文章にめっ

たにお目にかからなくなった。

これと同じようにカタカナ言葉にかわって存在するのかというとそうでもない。住宅事情

によるものか落ち着いて書斎で本を読もうとする人がいなくなったのかはわからない。

欧米の書斎をみるとうらやましい。広く落ち着いたつくりの部屋の壁には立派な本棚。ど

っしりとした大きな机に座り心地のよさそうな椅子。こういう部屋で読書ができたらイン

テリゲンチャンになることまちがいなし。

日本では広さこそ違えこういう空間を「私室」というらしい。またの名を、「お父さんの

部屋」。この空間は落ち着いて読書をしたり、思索にふけるためにあるのではない。せい

ぜい専用テレビで野球をみるくらいで、主たる目的は家族の喧騒から逃避するためにある。


小生も「私室」をもっている。広さは6畳。壁には欧米並みに本棚がならびそのわきには

オーディオセット。ふりむけばパソコン、スキャナ、プリンタに占領された大きな机。と、

実質空間は3畳ほどの部屋である。

ある日、パソコンにも疲れたので90度首をひねるとそこにアートがあった。

ココアスタジオは芸術家集団である。その連中にアートなんていうとセセラ笑うことはま

ちがいないが18世紀後半から19世紀初頭ではこのくらいの写真は立派な芸術であった。

ここで芸術をとやかくいうのではない。

写真左上にぶらさがっているのは40年以上使っている現像液の温度を計る温度計。こう

いうところに置くかね。時計回りにみていくと、鎖でぶらさがっているのはタイで買って

きたランプ。寺院にぶらさがっているのを見てほしくなった。観光そっちのけで探したが

バンコクにはなかった。チェンマイの電気屋でようやくみつけた。こういうものは電気工

事をする店以外ではあつかわないようだ。当然つれあいの評判はわるかった。その下ジャ

ムのビンに入っているのはウェットティシュー。この夏、ハンカチが汗で使えなくなった

ので買った。ポケットタイプなのに残すとはケチなんだね。レコードをふくのに便利して

いる。その左にあるバラはおもいつきで買った。クリスタルの花瓶はリサイクル市で200

円也。手前はめったにつかわないオープンリールのテープレコーダ。その上にあるのは使

う目的もないのに安売りというだけで買ったUSBメモリ。左の黒いかたまりはメガネケ

ース。中のメガネはつるを止めるネジをなくして不自由している。近所にチェーン店のメ

ガネ屋はたくさんあるが、売ってなんぼの店でネジだけ直してもらうのは悪い、と半年も

迷っている。

写真をしげしげと見ていると部屋の主の性癖がぎっしりとつまっている。これを書斎の窓

辺というべきか、私室の窓辺というべきか。


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