10/1のしゅちょう 文は田島薫
(六ヶ所村再処理工場について)
野田民主政権は2030年代に原発廃絶を目指す、って言いながら、青森県大間他の原
発建設再開を認めたり、青森県六ヶ所村の核廃棄物再処理工場の稼動も認めた。
だからといって、民主党が自民党に政権が変わったとしても、その方向性が変わるわ
けはなくて、問題は民主党の志めいたものが上滑りしてほとんどナンセンスなブラッ
クジョークともいえる状況になってる、ってことなのだ。
核廃棄物再処理工場と聞くと、ふつうわれわれはそれによって放射性物質が減少して
いくようなイメージを持つわけだけど、現実にはその逆で、再処理という名目で取り
出される使われる予定のないプルトニウム(識者によると数10グラムで数千万人殺せ
る猛毒だと)が毎年何トンもたまって行く他、排出される放射能は1日で原発1年分
の量だと。
けっきょく民主党政権も原発事業関係者や産業界による原発なしでは経済が沈下して
しまう、って脅しに屈してるわけで、結論を先送りにしてる、ってことなのだろう。
発電用代替エネルギーの開発には時間とコストがかかるとか、量確保は不可能だとか、
原発の経済性を強調したり、原発の安全性を追究するのが科学の進歩ってもんで、そ
ういった努力は多少のリスクがあっても止めてはならない、などと言う識者もいるわ
けだけど、そういう人々は、じゃ、例えば、自分が福島原発の近くに生活してたとし
ても同じことを同じ平静さで言えただろうか?って疑問も起きる。
プルサーマル方式で高濃度放射性物質を燃やしてその量を減少させるなどと謳うけど、
再処理でプルトニウムがどんどんできれば、ウランをあんまり買う必要がなくて経済
的、って単純な発想なんだろう。すでにどうしていいか処理の責任がとれない量の核
廃棄物をかかえた上、それの研究開発に全力を傾けもせず、ただ経済効率だけで無責
任に安全性を軽視しつつ、危険性の認識が世界的に深まってる原発を地震国であるわ
が国がまだ止めようとしないで、なんとかそれを続けようとする動きは、また途方も
ない大事故で終焉するまで続くとするなら日本は世界の厄介物になるはずだ。
きっぱり全廃って大英断できる政治家が必要だし、われわれももっと身近に議論や行
動起こすのがいいんだろうきっと。
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