1/4の日記 文は田島薫
ぐーたら年越し
茨城の家来ての年越しは、いつものエネルギッシュな生活パターン(どこがだっ)とは
違ってコタツ入ってみかんやきんとんなんか食いながら、おふくろ主導のテレビ番組を
次から次とながめてるだけ、といったもんだった。
30日は妹の娘が初めて婚約者を連れて来たんで、晩はなべといつもの第3のじゃない
ビールで宴会。宴会といっても、ふつうに飲むのは私と婚約者だけなんだけど。
この時テレビは歌番組つけてたんだけど、話をする方がいいと音を消し、各々、自分が
聴きたいものの時だけ申告して音を出す、ってことにしたら、音楽はフォークが好きだ
と言う婚約者は北島三郎で申告した。
翌日、大みそかの昼前に婚約者ふたりは婚約者の故郷、被災地気仙沼に向った。
晩は私がおふくろと家人に年越しそばを作ったんだけど、野菜をたっぷり入れたい私の
好みに、ふたりの好みが合わないようなので妥協、おかず別でかけそばにしたところ、
味の評価には鈍いものがあった。前夜の酒が多かったんで、缶ビール2本だけにして、
おふくろの好きな歌は優先しつつ、各テレビ局の番組を次々変えながらながめた。
元旦も次々チャンネルを変えたんだけど、天皇杯の決勝も特に見る気がせず、けっこう
落ち着いて長い時間見たのは、ニューイヤーコンサートとモヤモヤさまぁ〜ず。
2日のテレビ、一般人の夢をかなえるって番組、瀬戸内海の島(?)で売店に立つ97才
のばあさんが広島に行って数十年会ってない姉に会いたい、って12才年上だ、って言う
から、生けるしかばね状態だろう、ってだれもが想像してたら、妹もそうだったんだけ
ど、109才の姉はちゃんと自分の足で立って歩いて、ふつうにしゃべった。姉妹ともに、
高齢になっても働き続けてるのが元気の理由のようだった。そんなの見てる頃、私の現
実の妹が東京から来た。晩はビールで宴会。といっても、ふつうに飲むのは妹と私だけ。
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