1/4のしゅちょう             文は田島薫

シンプルライフについて)

私が若い頃、ヒッピー文化のような自然回帰的生活スタイルが流行ったことがあ

ったんだけど、そういった流れの中でのふつうの商業製品の傾向の中にも、より

自然に近い素材を使った質素なものを、ってのが、どっかのファッションメーカ

ーが提唱したシンプルライフ。こういった傾向は現代でも引き継がれ、第二のそ

れ的なものが増えて来てる感がある。大量消費時代のバブルを経過し、景気も低

迷し、贅沢な物よりより実用的でコストパフォーマンスがいいものの方が売れる

せいもあってのことだろう。

一方、 コンピュータの進歩でパソコンや携帯機能がどんどんアップ、情報量も格

段に増え、そういった商品もどんどん売れているとこみると、シンプルの意味が

昔と今では微妙にズレを生じてきてるようで、できるだけ自分の労力や費用を省

いて多くの情報やサービスを受ける、ってような意味になって来てるようだ。昔

のシンプルライフは生活スタイルをより自然との調和とかつきあいの時間を作る

ために無駄な雑事を省こう、ってもんだったはずなんだけど、今日のは逆で、前

述の省力によって、自然とのつき合いもどんどん省いて、ほんとに必要なもんな

の?ってもんをしこたま買い集める、ってようなもんになって来た。

子供は外で走り回る代わりに、家でコンピュータゲームに夢中のようだし、ごち

ゃごちゃ作りこまれたコンピュータグラフィックの映画やテレビやゲームが氾濫

して、寝ないで働くプロの作家たちよって作られたそんなビジュアルイメージな

どを、みんなで2番煎じ3番煎じのように共有しあっては、それが自分自身の想

像力や創造力だと勘違いしている大勢の若者たち、って構図なのだ。

シンプルライフを今復活させる意義があるなら、それは、生きる生活に必要な最

低限度のものに甘んじて、自然と全身でつき合い、より豊かで自由な時間を自分

のものにして、自分の中からわき上がる創造性を育てる、ってことの中にあるだ

ろう。ま、他人の作ったものを鑑賞や真似で楽しむ、ってことを否定するわけじ

ゃないけど、それだけでは自然を媒介に知る自分の秘められた創造力を生かすこ

とにはならないわけだから、そこんとこの限界を知る方がいいだろう。




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