1/17のしゅちょう             文は田島薫

(かっこよさについて2)

前回、金を持ってるか持ってないかはかっこよさと無関係だ、人のためになることができ

るかどうかがそれに関係してることだ、って書いたわけだけど、金がないと行動が制限さ

れてしまうし、まず、自分の生命保持のための算段が必要になる、ってわけで、自分のこ

とで手いっぱい、人のためになることをする、なんて余裕はないだろう。だから、最低限

生きるための金は必要なわけで、そのためにどうにもならない状況になった場合の緊急援

助を例えば公的施設などに求めることは恥ずかしいことではない、って書いたのだ。

これは現実に、高給をもらってる社員がいる大手企業だって、倒産の危機には当然のよう

に公的機関に援助を求め、それを回避した後も税金から払われるその恩恵に浴すことがふ

つうに行われてるとこ見てもわかるわけだし、大きく見れば国自体だって膨大な借金を抱

えその借金を重ね続けながらも、そこの従業員である議員や公務員たちは国民の平均賃金

の2倍〜数倍の高給を受け続けている矛盾もあるわけで。

大事なのは、自分はなにをしたいのか、ってことで、それをよくわかり、それに向けてま

い進してる人間は金のあるなし、にかかわらずかっこいい、ってことなのだ。

なにか行動を起こす前にすぐに損得の算段をしてしまい、得がないことにはいっさい手を

出さない人がいるかと思えば、家族の生活費も不足中、って言うのに、女房のなけなしの

着物を質に入れたり、友人に金を借りまくったりして、自分の創造表現にまい進した芸人

や作家とか。

しかし、これは家族やその友人にとっては迷惑な話のはずなんだけど、客観的には、そう

いった止むに止まない創造意欲のようなものが文化を育てるのだし、緊急避難で小さな金

を工面しても生き抜こう、ってしたたかさは他人から見れば、かっこわるい、って見る人

もいるだろうけど、かっこいい、と見ることもできるのだ。

もし、過去の偉人たちが、目前のわずかな金の不足によって、自分の夢を簡単にあきらめ

たとしたら、世界には見るべき文化はなにも残らなかった、ってことにもなりかねないの

だから。

と、言えば、貧しくても意欲のある才能あるものだけが、そういった場合かっこいい、っ

てことになり、才能のないものにはあたらないのか、って言うと、そんなことはなくて、

人を感動させる本当にかっこいい人は、才能も金もなにも持たないのに、思わず人のため

にわが身を投げ打って行動してしまった、ような人だろう。




戻る