1/4のしゅちょう 文は田島薫
(与える喜びについて)
ふつうに考えると、人に何か上げるより、人から何かもらう方が得だし好きだ、ってだ
れでも感じがちかもしれないけど、それは、色々な面で不足な生活をしてる者にとって、
それを余分に持ってる人からや、そうでない人からでも、与えられれば助かるわけだし、
ありがたく感じるわけで、与える側としては、それをそれほど必要としていない者に、
自分が必要として余分もないものを与えるのは気が進まない、ってようなことなんだろ
う。じゃ、いつも自分に不足してるものを人からもらい続けるのが人の幸せかと言うと、
楽かもしれないけど、生活が単調になるだろうし、なんだか生き甲斐といったもんは感
じにくくなりそうだ。やっぱり、人はどっかで、自分以外の人に、なにか与えることが
できる力を自覚できた時により大きな幸せを感じるもんのようだ(なんだか、ミミダコ
話だけど)。
どんな分野の仕事でも、究極の目標は、人の生活を改善して幸せになってもらうことで、
それがうまく行った時に、与えられる人と与える方の双方が幸せになる、ってわけだ。
だから、仕事がうまく行ってうれしい、って人はそれが人のために「いいもの」を与え
ることができた、って誇りのようなことがそれの本質なんだろう。
ま、仕事がうまく行くことで、金をかせぎ、自分や家族により豊かな生活をさせること
ができる、ってことも、うれしいはずだけど。
人をより豊かにすることを仕事にしてる人も、困難な情況にある人を救うことを仕事に
している人もそれができることは幸せなことなのだ。
じゃ、与えることができず、どうしても、ただ受けることだけしかできない人は幸せに
なれないのか、って言うと、そんなことはなくて、ただありがたさを心から感じる、っ
てことだけで幸せになれるのだ、だって、自分の力だけではどう努力してもどうにもな
らないような苦境にある人に対して、自分が必要なものを与えることができた、って感
じる喜びを、与える人に、与えることができるからだ。
究極の情況だと、与えられる人も与える人と一致するのだ。
戻る