2/14のしゅちょう 文は田島薫
(不安について)
日常生活において、不安、を感じることはできるだけ少ないか、そんなもんはない、って
ぐらいがいい、ってたいていのひとが思うだろう。仏教の修業の目的でも、簡単に言えば、
絶対安心、っていったようなことになり、不安から解放されることなわけだし。
しかし、修業で悟った坊さんじゃなかったら、生活の中に不安がない、って人はなかなか
いないだろう。それは経済的なものであったり、社会的身分といったもんであったり、健
康上のもんであったり、いずれだれにでも必ず訪れる人生の終わりについてとか、そのレ
ベルはまちまちだとしても、外から見て、あんなにお金持ちだといいね、とか、あんなに
健康そうならいいね、とか、思っても、当人にとっては、それが全くの自分の理想とかけ
離れた不安極まりないもの、って感じていることだって大いにありうるわけなのだ。
なぜなら、ものごとに完璧とか完全といったものはありえないので、もし、そういった完
全さを求める心にとらわれたら、いくら金があっても、使うとそれがある日なくなってし
まうかもしれない、って不安を抱いたり、精密な健康診断をくり返し、健康に気をつけた
生活をして、多額の生命保険に入っても、病気になる不安はつきまとうだろう。
だから、一番いいのは、不安は人間につきもの、って考え、完璧は望まないことなのだ。
金は使えばなくなるし、事業に失敗して貧乏になるかもしれないし、病気になるかもしれ
ない、でもその時はその時、貯金するのも、保険に入るのもそれへの安心を完全に保証し
てくれるもんではないけど、最悪の事態は多分避けられる、ってぐらいのことなのだ。
いずれにしても、つまらないことで心を悩ませてストレスためることは、仕事においても
健康においてもいいことではないわけだから、できるだけ気楽にする、できるだけの手は
打つけど、それに万全の期待は寄せない。どうしてもだめな時は、そこでまた新たな手を
考えればいいや、ってぐらいでいい。
で、不安、って感情は、実は大切なもんであって、これがないと、人は努力しないから、
進歩もしないわけで、独創的な芸術だって生まれないのだ。だから、不安、って人生をよ
り意味のあるものにしてくれる素晴らしいもん、ということになり、不安のあまり気持ち
わるくなっちゃった、ってんだと困るけど、不安は自分の味方だし不安がけっこう心地よ
い、ってぐらいに思って、適当になかよくつきあえたらいいのだ。
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