思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、ご自分の心境に深く寄り添う演奏と出会えたようです。
テンペスト
「嵐」のほうではなく、ベートーベンのピアノソナタ17番テンペスト。
ベートーベンが弟子に「この曲の構想は?」と聞かれたとき、「シェークスピアのテンペス
トを読め」と答えたので「テンペスト」と呼ばれるようになったとか。
もとよりシェークスピアなんて読まないし、テンペストといわれても伝染病のペストの親戚
くらいに思っていたとき、ふとしたきっかけでこの曲に魅入られてしまった。特に三楽章
Allegrettoは、道筋のない迷いにとらわれたとき聞くとよい。
慰めるでもなく励ますでもなく、高く低く同じ音型を繰り返す旋律はまったく未知の可能性
を暗示してくれる。
先日、エリック・ハイドシェック信奉者の間で有名なライブCDを買った。
若干オフマイクで録られた音は、最近のグランドピアノに首を突っ込んだような鮮明いっぽ
んやりの音と比べると、ほどよい残響がまるで会場で聞くような安らぎを与えてくれる。
裏切りと懺悔と赦しで構成されたシェークスピアの戯曲「テンペスト」。
奇才ハイドシェックは、シェークスピアのテンペストとはなんの関係もないこの曲を不思議
な融合をもって表題音楽のように弾く。自在に変化するテンポは、昨年から頭をはなれない
答えのない抑うつ感を癒すにはもってこいだ。
フルトヴェングラーは、「演奏を冷静に客観的にしようと思っていても、音楽が始まるとど
っちみち感情的になる」と言っているが、反対に音楽を感情的に聞くとやがて冷静と客観の
世界につれていってくれるのかもしれない。