●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
鎮魂の意味をこめた新シリーズ。



シリーズ 震災余話

人は大きな衝撃を受けるとどんな心の動きをするのか。

私の場合。

3月11日、大震災の日、横浜で家に居り、大きな揺れを感じたが直接被害はない。私は

すぐテレビをつけて情報を得ようとする。

テレビは異常事態を知らせ絶叫する。あの巨大津波による惨状を繰り返し繰り返し放映す

る。私はその凄さに息を呑んで見つめる。被害状況が刻一刻と伝えられ、跡形もなく瓦礫

と化した町や避難所で震えている人々の映像が延々と続く。

数日間、どのテレビ局も震災一色だった。私は恐怖感と絶望感に押しつぶされながら事態

を把握しようとテレビに釘付けだ。

呆けたようにテレビを見続けていた私は、まさに擬似被災体験に陥ったようだった。さら

に追い打ちをかけるように福島原発の事故。新たな不安が押し寄せる。

日本は一体どうなってしまったのか、これからどうなるのか、自分自身の安全や将来は? 

次々と心配が押し寄せ気が滅入ってくる。

そうなると、何も手がつかない。本を読むことにも集中できない。

今、本なんか読んでいる場合じゃない、と思ってしまう。震災前のココ通の原稿なんか読

むと、なんてのん気なことを書いていたのだろう、と思う。

私は11日を境に心の在りようが変わってしまった。

今あることはすべて不確かで、信じるに足るものは何もなく、すっかり感情的になってし

まった。

やたらテレビで釈明するトップに腹を立て、被災者が「生きているだけでも幸せ、がんば

ります」と健気にいうのを比べては「なんて、私って“ヤワ”なんだろう」と落ち込んだ。

私はテレビを消した。

そして私を回復させたのは10日後に開かれたある会合だった。

普段は14〜5人集まるのにその日はたったの6人だった。余震やら交通事情もあったの

だろう。それでも会はまるで震災なんてなかったかのように通常通り進行した。“通常通

り”の安心感は心強かった。そして会に出席をしたという連帯感で気持ちがほぐれた。

思うに、私の心は何かのきっかけですぐ壊れ、何かのきっかけで立ち直る、そんなもろい

ものなのだった。



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