思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、昨今の日本人のダメな所を指摘してます。



精霊はどこへ

今回は京都人の悪口を心行くまで書くつもりであった。

なにごとも日本一と勝手に思い込んでいる東京もんにとって唯一かなわないのが京都のも

つ都市文化である。

さすが一千年の歴史をもつ京都の都市文化は合理的でスマートである。

よく京都人は排他的だと言う人がいるが、それは京都人が悪いのではなく京都の持つ都市

文化になじめないほうが悪い。


その京都がドジを踏んだ。

震災被災者供養のため、陸前高田の松の木を京都五山送り火の薪として使う予定だったが、

放射線汚染を理由に断った。

これを知ってすぐに頭にうかんだのは、「『ぶぶ漬けいかがどすか』をやりやがったな」

であった。あまい言葉にさそわれて、その気になったら…である。


しめた、日頃のうっぷん晴らし、京都人への罵詈雑言を書き連ねようと思っていたが、時

間が経つにつれ正しい理由がわかってきた。それは京都人固有の問題ではなく日本人全体

がもつ「排他」というめずらしくもない理由であった。というわけで今回書くことがなく

なった。― では芸がないのでもうすこし……。


「燃やしても問題になるような汚染レベルではない」。と前おきした二人の放射線学者の

コメントがある。

一人は、「意味のないクリーンさを求めた判断は被災者の気持ちを踏みにじる。汚染され

ているからこそここで供養することに意味がある」と。

もう一人は、「伝統的な神事という見方から、放射線を穢れと受け取ったのではないか。

科学的な問題ではなく文化の問題ではないか」と言っている。


老生は前者の意見を支持する。

後者の意見を考えると、風評被害などという非科学的なものに翻弄される日本人に科学的

な問題はそぐわない。また、文化の問題といっても伝統文化ではなく、自分さえよければ

という日本文化の問題であろう。

この「五山送り火騒動」をみて強く感じることは、宗教界とくに仏教界からなんの声も聞

こえてこないことだ。日本というところは精霊の行くところもなくなってしまったのか。


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