思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいの怒りも60年前のままですし。
八月
八月になると思いだすのは、小学校の夏休みの宿題とプール。
八月も後半にはいると三分の二が白紙の宿題帳が目に浮かぶ。特に毎日の天気を書き込む
欄にはこまった。今のようにネットで調べるというわけにもいかないし、新聞もちょっと
した包み紙に使われてしまい全部は残っていない。
戦災で丸焼けになってしまった校舎のわきに今上天皇の誕生を祝って作られた立派なシャ
ワー棟をそなえたプールが無傷で残っていた。
戦後2〜3年もするとプールが使えるようになった。海水浴に行くなんて夢のまた夢であ
った東京の子供にとってプールの時間は何物にも代えがたい。
その楽しみも、近隣のプールが被災した学校やプールを持たない学校の生徒が交代で使う
ので自分達の使える時間はすくない。
『孟母三遷の教え』に従って(嘘)学校のすぐそばにあった家の庭から他校の生徒が楽し
そうにプールに入っているのを見ると…思い出しても腹が立つ。
60年前の八月は、焼け跡に建つ貧しい家々のまわりにはひまわりが咲き、真夏の日差し
を避けるために朝顔やへちまの棚が作られていた。
いま目の前に広がる八月は、電力不足でクーラーが使えない。暑さしのぎにゴーヤのカー
テンが作られ、セシウムを吸収するという理由でひまわりが植えられる。
60年の進歩なんて、こんなものだったのか。