思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせいは、年を重ねるほど脳の柔軟性が高まっております。
なんか
マダムシャンは足が痛い腰が痛いというわりには自分のこととなるとよく出かける。
今日も、市の外郭団体「日本文化交流協会」という市在住の外国人に日本文化を教える団体
にいる知人のSOSでとびだして行った。
毎年市の主催で行われる祭りに交流協会会員による浴衣パレードが参加することになった。
このような外国人と交流を深める団体には、あやしい英語をあやつり「わたしこそ日本文化
の代表」を任ずるおばちゃんが必ず一人や二人いる。
浴衣パレードの責任者である知人が浴衣の着付けを手伝ってもらう人選にはいったとき、か
の日本文化の代表おばちゃんから横やりがはいった。
「浴衣を着る外国人なんか10人もいないわよ」との大声にまけて3人に着付けを頼んだ。
ところが参加募集をかけてみると30人を超す希望者が殺到してしまい、着付けになれたマ
ダムシャンにSOSが来たというわけである。
ここで気になるのは、「…なんか」という後ろ向きの意味をもたせた言葉遣いである。
わけ知りを自負する人にこの言葉遣いをする人が多いようだ。
「原発反対運動『なんか』やってもむだだよ」。「なでしこジャパン『なんか』優勝するわ
けがない」というふうに自分のもつ小さな知識のなかで結論をだしてしまい、まわりをまど
わせる。このようなタイプの人は、未知の可能性を嫌い、狭い世界で威張るのがすきだ。
それにひきかえ嬉々として異国の民族衣装を身にまとい、異文化の集積である祭に参加した
彼らの世界はますます広がることだろう。
本来進取の気性に富んでいた日本人は、敗戦いらい諦めが先に立つ『…なんか』を連発する
国民になってしまった。そろそろ「『なんか』国民」から脱出しないとますます世界から置
いてきぼりをくうことになる。