6/27のしゅちょう 文は田島薫
(言葉にすると消えてしまうものについて)
今はコミュニケーションの時代、なんでも言葉にしなけりゃ相手に伝わらないんだか
らどんどん思ったことを表現した方がいい、なんて私もよく言った記憶があるんだけ
ど、この頃は、いや、まてよ、って思うことも増えてきた感じがする。
昔から、あんたは口数が多い、とか、巧言令色少なし仁、とか、しゃべることを批判
的に言ったり、沈黙は金、って無口なことを賛美する風潮はあったわけだから、それ
なら、コミュニケーションコミュニケーション、って言ってる現代は間違ってるのか、
って言うと、逆説的にデスコミュニケーションがいい、って言ってる人もいるけど、
コミュニケーションすることがわるい、っていうことではなく、けっきょくそれはそ
れの質を高めたい時に起きる問題点、ってことになるんだろう。
コミュニケーションと言うのを、人に心を伝えることとするなら、言葉によるそれよ
り、言葉に頼らないそれの方がうまく行くことがある、ってぐらいのことだろう。
言葉で説明しなけりゃ、って焦ってしまうと、自分が本当に伝えたい感情を置き忘れ
てしまい、説明のための説明になり、言葉にして言いたいことはわかったけど、あん
たがそれを本当に信じてるようにはとても思えないね〜、って印象を持たれてしまう
かもしれず、それだと本末転倒、ってことになる。
ふたりの人間がいて、ふたりのうちの一方か、またはふたりが一緒に同じ何かに感動
したとして、感動した一方がその気分のまま一方の顔を見たとしたら、そこに言葉は
じゃまかもしれない。
その時、もし、是非言葉にしなけりゃならない、って義務感を感じてしまい、慌てて
「や〜感動的でしたね〜」って言ってしまったら、伝えられたはずの思いの深さが、
そこで、すっと消えてしまうことがある。
その時はまず、沈黙を大事にした方がいい、気持ちを溜めて溜めて、やっと出た言葉
が、同じような「感動、でした…」だとしても、それでいいはずだ。
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