5/2のしゅちょう             文は田島薫

(学者の責任について)

今さらながらの耳タコ話、ってことになるかもしれないんだけど、今回の福島原発事故、

予測できない未曾有の大津波によってこの事態になった、って政府や東電は言ってるんだ

けど、果たしてその通りか、って言うと、そうとも言えないわけで、三陸には千年ばかり

前に今回と同じレベルの大きな津波が来てた跡が発見されてたし、その後だって、20〜

30メートルの津波が各地で何度もあった、って言うんだから、どう考えても津波の想定が

最大で2メートルって言う日本各地の原発はどこも危険なのだ。

結局、大津波が来れば危険なことはわかってるし、過去にそれがあったわけだから、これ

から来る可能性はあるんだけど、何百年に一度程度の確率だから、多分大丈夫だろう、っ

て判断で、特に御用学者学者が「安全性に問題はないはず」などと言ってしまうのだ。

学者は、確率が低くても可能性についてははっきりそれを指摘するのが仕事のはずで、き

っちりそれを守る学者もいるのだけど、経済界の功利主義的圧力に負けた政府や御用学者

たちによってその指摘は抹殺されてしまうようだ。

先日は原子力安全委員会だったかのメンバーの学者が、年間20ミリシーベルトまでは安全

って政府基準に異論をとなえ涙ながらに自主辞任を発表してて、こっちの方はなんだか、

学者の良心の吐露、ってような印象を与えてるかもしれないんだけど、もし、20ミリシー

ベルトが危険、って言うんであれば、学者ならその根拠を示す義務があるだろう。それな

しに、安全の根拠がない、ってだけでの発言であれば、ただの一般人だってできる判断な

わけで、現実の情報がみだれる混乱状況の中では、自身本気で緊急に研究を進めるなり、

もう少し慎重にその自身の不安の根拠について考えるのが学者というものだろう。

学者は功利主義者の尻馬に乗ったり感情だけでものを言うんでなく、冷静に客観的データ

を検証して、安全性についても、筋道を示すことに徹底すべきなのだ。




戻る