5/16のしゅちょう             文は田島薫

(無能の効用について)

自分が何か人よりも優れた能力を持ち、世の中の役に立つ人間であると感じられたらい

いなあ、とだれでも思うんじゃないかと思うんだけど、その通りに自分は有能だと感じ

てる人もいれば、自分にはどこをとってもそんなものが見当たらない、って感じてる人

もいるだろう。

で、端から見てると、その自己評価の厳しい人と甘い人がいて、あんまり仕事の出来が

よくないんじゃない?って感じられる人が、自分じゃ、や〜私はできるね〜、って思っ

てる場合もあるようだし(私のことではない)、逆にいい仕事すんな〜、って人に思わ

せる人が、全然だめだ、って自己評価してる場合もある。

この場合、どっちの人が幸せかと言うと、私はできるね〜、って勘違いしてる人の方が

幸せ、って言えそうなんだけど、他人からふたりを見た時の評価の違いは前述の通りだ

し、そういった当人の自己評価を知った他人は、前述の評価に人格的な面でのそれも追

加しそうだ。

まあ、そうは言っても、たいていの人は慢心と謙虚の両面を持ってるものだから、そん

なにきっぱりとは人をわけられないのだけど、もしどっちかに片寄りすぎてたら、それ

のバランスを考えた方がいいだろう。

で、けっきょく問題は、有能な人よりも無能な人の方にありそうで、なんでかと言えば、

有能な人は知らずに自分の弱点を克服してきたり、元々才能のある人で、それを仮に、

自慢したとしても、他人はたしかにその通り、って納得するだけだろうけど、無能の方

が根拠のない自慢を示せば、笑われるだけだろう。

自分がけっこうやれてる、って思ったり、笑われたりすることだって、自分や他人が心

和むなら、別に一概にいけないことだとも言えないだろうけど、そういった事実に反す

るようなことはいずれ当人も気づく時が来たりするわけだから、自分の能力を客観的に

観る努力はした方がいいのだろう。

それさえできたら、無能はがぜん力を発揮するのだ。だって、知らなかったことを知る、

とか、できなかったことができるようになるとか、って「学習」は人生の醍醐味と決ま

ってるわけだから、無能者は人生の楽しみの元が無尽蔵にあるのだ。

逆に有能な人はなんでもできるもんだから、どんどんいろんな仕事を頼まれて忙殺され

る場合が多く、それでもそれにやりがいを感じてがんばってる人は沢山いるんだけど、

身体や頭脳に過剰労働を強いられるのだ。

それにくらべ、無能の方は人に期待をされない分、すべて自分のペースでやりたい放題。

有能な人間が雑事に追われてる時、突然創造的な仕事ができあがる「こともある」。




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